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情報誌『アシスト』

2009 Autumn 2009/09/01
【巻頭×特別インタビュー】

同志社大学大学院総合政策科学研究科は、ソーシャル・イノベーション研究コースにおける学外社会実験施設として、昭和初期の京町家を現代に蘇らせた「江湖館」(こうこかん)を設けています。そこでは大学院生や教員が市民とともに様々な活動を行っています。この「江湖館」に、同志社大学大学院 今里滋教授をビル・トッテンが訪問し、お話を伺いました。

命と食と農をつなぐ 市民による社会変革の実践

今里 滋 様
同志社大学大学院
総合政策科学研究科 教授

今里 滋 様
アシスト
ビル・トッテン




命と食と農をつなぐ

◆ 市民による社会変革の実践 ◆
 




父親としての自覚が促した、行政任せからの脱却


トッテン
今里先生とご縁をいただいてから、色々なことを教えていただいていますが、本日は、先生のご専門である「市民による社会変革」について、ご自身の体験からお聞かせ願えますか。


今里様
私のフィールドは、九州大学箱崎キャンパスがあり私の住まいもあった福岡市東区箱崎でした。元寇の舞台ともなった筥崎八幡宮の門前町でもあり、古くから栄えた町です。福岡大空襲の際も、九州大学農学部近くに米軍捕虜収容所があったという理由で爆撃を免れた結果、古い町並みや道路がそのまま残りました。それはよいのですが、箱崎本通りという道幅6m程度のメイン・ストリートを、多い時には一日5千台以上の車が、歩道もない、両側には電柱や街路灯が林立する道路を通過します。本当に歩きにくい道路です。特に、高齢者、障害者、幼児連れのお母さん等には危なくてしょうがない。

話は飛びますが、昭和60年に結婚10年目にして一人娘を授かりました。大正7年生まれの義母も同居していましたから、私の家庭に赤ちゃんとおばあちゃんという“社会的弱者”が2名存在するようになったわけです。父親になってみると自分が住んでいる町の見方が一変し、この住みにくい町をなんとかしなければと思うようになりました。


トッテン
九州大学教授という立場から「まちづくり」に参画されたのですか。


今里様
あくまでも箱崎の一住民としてです。まず校区の各種行事に参加しました。最初は、正月三日に行われる「玉せせり」という祭りでした。豊作豊漁を祈願して、褌(ふんどし)一枚の裸の男達が“勢い水”(きおいみず)を浴びながら、菜種油をまぶしてつるつる滑る重さ8キロのケヤキの玉を奪い合うのです。もう寒いなんてもんじゃありません。でも、この過酷な祭りに出ないと箱崎では一人前の男とは見なされないんですね。オリンピックよりも盛り上がる校区大運動会では町内対抗仮装行列で女装もしました(笑)。また、地元消防団員やPTA会長もやって、地域の住民自治組織に深く関わるようになりました。


トッテン
古い町、そして昔からの地域組織を変えるのは容易なことではないでしょう。


今里様
古い歴史を持つ町内会ですが、戦時中に国民総動員体制の一環で戦争協力機関に変身させられました。その行政協力機関としての性格が今も根強く残っています。しかも、行政のタテ割りがそのまま地域組織に反映しているんですね。地域の各種団体は年中行事を消化するのに忙しく、地域の重要な公共問題に取り組む余裕も発想もありません。箱崎であれば、九大移転後の跡地利用や変わりゆく町に地域としてどう取り組むのかという大問題に住民が自発的に取り組むための本当の住民自治の基盤ができていませんでした。地域社会に自ら関わってみて、そのことを痛感したのです。そこで、住民が自発的かつ総合的に地域の問題解決に取り組む新しい住民組織が必要だと考えました。その実現に向けて町内の有力者を4年かけて説得した結果誕生したのが「箱崎地区まちづくり協議会」です。その一方で、古い地域に特有のしがらみや肩書きに囚われず自由闊達に発言や議論ができる「筥崎まちづくり放談会」も立ち上げました。これは、言うなれば、団塊世代のおじさん達が月に一度集まって、酒を飲みながら「まちづくり」について語り合うフォーラムでした。




信頼をもとに、市民だけでもここまでできる


トッテン
ざっくばらんに語り合う。いいですね。


今里様
この会にはフォーマルな規則などは一切ありませんでした。しかし、「飲んだ時の約束は守る」という不文律が自然とできたんですね。このようなボランタリーな会は契約で規律されているわけではありません。参加者をつなぎ合うのは、共有されたミッションと相互の「信頼」だけです。信頼はお互いに言ったことを守ることから生まれます。飲んで酔った時にはホンネが出やすいのですが、「あの約束は酒の勢いだったから」と翌日しらふになった時に発言を取り消せば、その人の言葉も人格も信用されなくなります。私は、焼酎のお湯割りを5杯飲んだ時に最もハイになって、約束してしまう困った癖があります。2000年頃、箱崎の中心街にあったスーパーが撤退して分譲マンションが建つことになりました。商店街の真ん中が、1階部分が駐車場のマンションになれば、ただでさえさびれている商店街がますますだめになってしまいます。商店街の活性化にも取り組んでいた私たちは、1階部分に何とか店舗を作ってくれないかと業者と掛け合いました。業者の返事は、「分譲店舗にしますから、購入者を確実に紹介してくれるならいいですよ」でした。しかし、折からの不況で誰も買い手がありません。いつものように酒を飲みながら相談していた放談会で、焼酎5杯目を飲んだ私は「俺が買う」と言ってしまったんですね。


トッテン
飲んだ時の約束を果たしたわけですね。で、その店舗をどう使ったのですか。


今里様
民設民営の公共スペース「筥崎公会堂」を作りました。レストランも併設し、コンサートや各種のまちづくりイベントを開催し、テラスは住民に開放しました。放談会は2002年にはNPO法人になり、商店街の空き店舗を借りて知的障害を持つお子さんの学童保育所兼シニア向けパソコン教室を作ったり、一株5万円の株式を200株発行して1,000万円の資本金を集めた市民株式会社方式で、廃業した歯科医院の跡地に「テアトルはこざき」という劇場も建設しました。こうした事業を私は市民公益事業と呼んでいます。


トッテン
助成金などに頼らず、すべて市民の手でこれらを行ったのですね。


今里様
公募制の助成事業には積極的に応募して競争的資金を獲得するように努めますが、原則はNPOが収益事業を行い、その利益を非営利活動に回すということです。現在は売却しましたが、九州電力環境部、福岡市環境局、環境NGOとコラボして、電気自動車を使ったカーシェアリング・ネットワーク事業を箱崎で展開するNPOを設立するという、先進的な取り組みもしました。




市民の力が阻止した新空港建設


トッテン
九州で活躍された先生が、京都へ来られた理由は何ですか。


今里様
福岡空港の離発着回数が容量限界に近づいたから、海上空港を新設するという新福岡空港構想が実現間近だという事実が2002年初めに明らかになりました。行政は「こそこそと勝手に」計画を進めていたんですね。しかし美しい海を埋め立てて、空港を作る必要などさらさらありません。仮に空港が満杯になれば新幹線を使えばよいのだし、そもそも経済成長の永続を前提にした計画構想が間違いなのです。また、新空港建設のホンネは建設業界が喉から手が出るほど欲しい大型公共事業と政治的利権なのだと直感しました。市民の力でなんとかこの無謀な計画を阻止したいと運動を始め、計画推進の先頭に立っていた福岡県知事を2003年選挙で落とすのが最良最速の手段と考え、またまた焼酎お湯割り5杯目の勢いで「俺が立候補する!」と言ってしまったのです。九大教授を辞職し、共産党を除く全政党を敵に回してNPOの仲間が応援する文字通りアリとゾウの戦いでした。結果は110万票対72万票で負けるんですが、現職側が私の立候補声明後まもなく新空港構想を白紙にしました。選挙後、同じ知事が今度は全面的に情報公開して公聴会も度々開いて新空港構想を再開しましたが、不況の影響もあり、今年3月、新空港は建設しないことが確定しました。その後、同志社大学大学院で教員を募集していたので京都にやってくることになったというわけです。


トッテン
福岡での活動経験を、いま大学院の教育研究に活かしておられるのですね。


今里様
ビジネスの手法で社会的問題を解決する社会起業家を育成したいと思っていたところ、2005年に文部科学省の「魅力ある大学院教育イニシアティブ」に応募し採択され、ソーシャル・イノベーション研究コース(SI)を作ることができました。SIは、いわば社会の病気を治す医者の養成を目的にしています。医学では臨床教育が重要であるように、SIも現場での実践を重視し、社会実験を必修化しています。そのためにはキャンパスに留まっていてはいけません。それで、江湖館と左京区大原に「農縁館・結の家」という農場・農家を社会実験施設として設けました。私の本来の専門は行政学で、国や自治体の役人を長いこと観察してきましたが、1つ分かったのは、役人は予算と権限がないと動かないし動けないということです。特に地域の公共問題を役人が自分の仕事以外にやるかといえば99.9%ノーです。ということは、世の中を良くしていくのは市民自身しかないのです。




命と食と農をつなぐ試み


トッテン
先生はまた、農を重視されています。


今里様
日本の食糧自給率の低下もありますが、農的なライフ・スタイルをもう一度回復すべきだと思うからです。食べ物を自分たちで作る暮らしは、自然や命への尊敬の念が生まれ、命を大切にしようという敬虔な思いが出てくる。特に子供たちにそれを「体験」させることが大事ですが、今の教育はあまりにも知識偏重です。体験によって子供はしっかりと考える力を身に付けます。ということで、SIでは、子供たちが大原で開墾から始めて野菜を育て、この江湖館にある「おくどさん」でご飯を炊き、自分たちが作った野菜を料理してお客さんをもてなす「畑からお皿までの食育」を行ったりしています。


トッテン
私も家庭菜園を始めて、食や環境のことは自分の問題だと痛感するようになりました。アメリカにはファーマーズ・マーケットも増えていますが、日本も増えて欲しいですね。


今里様
アメリカには地域コミュニティが有機栽培農家を支援するCSAという仕組みがありますが、日本ではまだまだ不十分です。消費者や料理人、八百屋など、地域の経済社会が有機栽培農家を支える仕組みを作り、その中で子供たちが、土のレベルから野菜の味が分かるようになり、そのような“ほんまもんの野菜”によって健康ではつらつとした命を自ら育んでいく農という知恵と技を身に付けてくれたらと思っています。グルメを育てるのではなく本物の味が分かり、食の文化にも通じ、おもてなしを通じて人々とコミュニケーションができる食通を育てたいと思います。それが京都料理の、ひいては日本の伝統ある食文化を次世代に残すことにつながるからです。


トッテン
政府には言いたいことがたくさんありますが、その前に市民として自分には何ができるか、何をしなければいけないのかを考えるよい機会になりました。本日は誠に有難うございました。





◆ 今里 滋(いまさとしげる)様 プロフィール ◆


1951年福岡県生まれ。九州大学大学院法学研究科博士後期過程修了。法学博士。九州大学大学院法学研究院教授を経て、2003年福岡県知事選挙出馬を機に同志社大学大学院総合政策科学研究科教授へ。研究テーマは「市民による社会変革戦略・手法の実証的研究」。


取材日:2009年6月