大名企業
当時の戦国大名というのは1つの企業体でしたね。初期においては小さな村単位の豪族であったものが、それぞれに独立して、1つの武力組織、自治単位を作っていました。これが互いに自分のテリトリーを主張し、抗争を繰り返し、企業提携や吸収合併を繰り返しつつ、現在の市や県の単位へと成長していったのです。彼らが争ったものは領土、すなわち食糧の生産規模でした。
食糧を産出する豊かな土地を争ったのですが、これとて現代のお客様争奪戦と変わりはありません。戦国では、槍や刀、さらには新技術の鉄砲を加えて武力や軍事力を競い合ったのですが、現代では商品に込められた技術を武器に戦っているのです。
戦国時代は、1470年頃に起こった応仁の乱からだと言われています。関ヶ原の合戦が終わるまでの約100年間で、足利幕府体制が崩れて、徳川幕府に再構築されるまでの政治、経済体制がリストラされた期間でした。日本史の中でも、こうした大規模なリストラが行われたのは、源平争乱、戦国時代、明治維新、太平洋戦争と4回あります。それぞれに約100年かけて、大きな社会経済体制のリストラクチャリングが行われてきました。
「きました」と過去形を使いましたが、戦後と言われてまだ60年でしたね。現在も、リストラが続いている時代なのです。だからこそ、「天地人」という戦国ドラマに親近感を覚えるのかもしれません。
経済が歴史を動かす
「天地人」の主役、直江兼続が、その一生をかけて守り、育てたものは上杉会社です。上杉謙信という、カリスマ的創業者の下で経営を見習い、御館の乱という社内抗争を勝ち抜き、近隣の競争相手の中から、豊臣ホールディングスという秀吉の作った会社との企業提携を選びます。秀吉という、すばらしい経営者の下で、順調に上杉会社を成長させますが、ライバルの徳川会社とは敵対関係にならざるを得ませんでした。企業理念が…違うんですね。
豊臣ホールディングスは、その基本理念として商業主義を中心に据えた会社です。堺や博多で成長していた商工業資本を背景に金銀などの貨幣経済を重視する体制です。
一方の徳川会社は農業中心の経営です。後に、幕藩体制になってからの身分制度を「士農工商」としたように、商業資本を最も卑しい職業と位置付けています。その意味で、関ヶ原の戦いは、石田三成と直江兼続を中心とする商業資本と、家康を代表とする農業資本の争いだったとも言えます。
経営理念としての「天地人」
兼続とその時代というのは、現代の企業経営にとっても参考になります。
まずは経営理念をどこに据えるかです。天地人とは「天の時、地の利、人の和」を表したものです。解釈は人それぞれですが、天地人は企業経営には欠かせない3要素で、天というのは時代背景、経営環境のことです。地は自らの強さ弱さ、いわゆるSWOT分析で、自らの立場を正しく認識することでしょう。人の和というのは社員やパートナーとのベクトル合わせですね。ただ仲良くすることではありません。仕事に携わる従業員はもちろんのこと、協働するパートナーの皆さんが一丸となって目標に邁進するための、精神的なよりどころです。
兼続は、尊敬する創業者、謙信から受け継いだ「義」という言葉を、企業の経営理念として掲げ、それに徹した人生を貫きました。その徹底した方針に、上杉会社の全員が従ってきたのです。兼続のこの方針は、会津120万石から米沢30万石に減資された時に如何なく発揮されました。従業員を一人も解雇することなく耐えしのいだのです。
後に、上杉家を継いだ上杉鷹山の言葉「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」は、この時の兼続の遺訓を引き継いだものではなかったでしょうか。ややもすると、派遣社員を情け容赦なく解雇し、従業員の給与を削りながら、自らは契約通りだと高額のボーナスを手にするような経営者もいるようですが、それでは人の和は崩れ去ります。立派な企業理念を掲げても空念仏です。
アウトソーシング、派遣社員導入という手法は、現代の経営手法ですが、それにはパートナーシップ、Win-Winという裏付けが不可欠です。「天地人」で兼続と景勝が掲げる「義」の旗は、まさにそのことを思い出させてくれます。
プロフィール
文聞亭 笑一(本名:市川勝一)
1943 長野県松本市生まれ
1966 信州大学工学部卒
同年 立石電機(現:オムロン(株))入社
営業、企画、情報部門を経て
1997 オムロンネットワークアプリケーションズ(株)
代表取締役社長
2000 オムロンアルファテック(株) 代表取締役社長
アシスト・ユーザ会「ソリューション研究会」役員
現在 ヒューマンウェア(株) 顧問
轍産業(株) 顧問