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「自分の目と耳で見極める」を大切にする営業マン

[掲載媒体]INSIGHT NOW!
[日付]2013年4月3日


現在アシストは企業向けのビジネス用コンピュータ・ソフトウェアの販売/サポートに特化しているが、1980年代後半にはパソコンソフトも取り扱っていた。松尾浩がアシストに入社したのはちょうどその頃。9,700円のワープロソフトや表計算ソフトを販売する部署に配属された。

「自分の目と耳で見極める」を大切にする営業マン

株式会社アシスト
支社統括事業部 西日本支社
松尾 浩(まつお ひろし)

1991年アシストに入社。当時アシストが扱っていたパソコン用ソフトウェアの販売部門、「UPプロジェクト(大阪)」に配属される。同年その部署が解散となり東京へ異動、フォーカス営業部に配属。97年に大阪へ戻り、その後様々な製品技術を担当後、99年から営業職となる。個性派の営業マン。





入社研修を終えて配属された松尾の仕事は、9,700円のソフトウェアをPCショップに売るための販促活動として家電量販店でのビラくばりや店頭応援だった。

「入社前に想像していた業務とはあまりに違っていたのでびっくりしました。ところがもっと驚いたのは、4ヶ月でその部署が解散になったことです」

当時、パソコンソフトの価格は高額だったが、アシストはそれを廉価で、しかもサポート付きで市場に提供するという戦略を打ち出した。ところがしばらくして、最初はその10倍以上もしていたパソコンソフトの価格が次々と値下げされてきたため、当時の社長ビル・トッテンは、これでパソコンソフト分野におけるアシストの役目、すなわち1人1台PCを所有できる環境を作るためにソフトの値段を引き下げるということ、は終わったとしてパソコンソフト事業から撤退を決めたのだった。

部署の解散で大阪から東京へ異動となった松尾が配属されたのはフォーカス営業部という、メインフレーム用の簡易言語ソフト、FOCUSの製品技術サポート。そしてそれまでパソコンソフトを売っていたということからPC系製品の企画も担当した。そこでほとんど経験もないまま、担当したある銀行で松尾を待ち受けていたのは、その銀行のグローバル展開システムでの相次ぐトラブルだったという。

「お客様先で、15名のIT責任者の前でトラブル報告を行った時のことは今でも忘れられません。当時の情報システム本部長に、“お前、何言うてるかわからへん。帰れ”と。重要なシステムのトラブルに新人が来たので、お客様も呆れられたのだと思います」

入社以来予想外のことが次々と起きるので、もう何が起きても驚かないと決め、どんな経験も楽しもうと思った、と松尾は言う。

約5年の東京勤務の後、大阪へ異動となり担当したのはデスクトップ管理ソリューション製品の技術サポートだった。ここでもある資産管理製品の不具合というトラブル対応にあたる。しかしこの頃になるとトラブル対応にも慣れてくる。トラブルがお客様との接点でもあると認識し、様々な経験を1つずつ積んでいくことで自信にもつながっていった。

1999年、松尾は大阪支店の営業部に配属となり、営業職に転向する。

「営業になった時に、IT業界で超有名なある営業の方からアドバイスをいただきました。その言葉はただ一言、『木を見て森を見ず』というもの。その時はよくわからず、その意味がわかったのはあとになってからでした」

営業になって担当した20社ほどの顧客企業に、ある製薬会社があった。この会社の担当になったことが、現在の自分を作ったといっても過言ではない、と松尾はいう。

「当時、この会社では全社情報系基盤のシステム構築やグローバルID管理統合の企画など、様々なプロジェクトを抱えていました。積極的なIT活用で業界トップに躍り出ようというお客様の熱意をひしひしと感じました。特に、攻めのIT戦略として、約6,000名の部員全員にPCを利用させ、エンドユーザ・コンピューティングを実現しようとしていたのです。それをお手伝いすることで、お客様のビジネスも知ることができ、また多くの学びと経験をさせていただきました。お客様が情報システムを積極的に展開されることで会社に貢献するなら、自分はそれをお手伝いして、同じように会社に貢献できる。技術を担当していた頃とは違うチャレンジがとても新鮮でした」

お客様との距離が近づき、お客様からより多くのことを教えてもらううちに、松尾はようやく『木を見て森を見ず』の意味がわかってきたのだ。

「最初はただ製品を売ろう売ろうと思って仕事をしていたような気がします。アシストの営業として自分が担当していたのはパッケージ販売という小さな領域でしかなく、見えていたのは、その製品を通じた短期ビジネスだけだったのです。しかし、お客様の仕事がより見えてくると、自分はお客様や、お客様のお客様、そしてひいては社会にどのように貢献できるのだろうか、というところまで考えて行動するようになり、ようやく森が見えるようになりました」

その後の企業統合で、この製薬会社はいくつかの会社に分かれ、当時松尾がお世話になった方々も仕事が変わったり他社に移られたりした。しかし今でも公私共にお付き合いは続いていると松尾は言う。

「アシストのビジネスの中心はパッケージソフトの販売ですから、お客様の全体像を見ているつもりでも、納める製品はどうしてもソリューションの一部になります。導入していただいた製品が日本語化されなかったことなどから、導入1年後に、解約をしたいとお客様からお申し出をいただいたこともありました。ソフトウェアをゼロから開発するソフトウェア・メーカーの役割とは異なるため、そんな時はパッケージソフト販売というビジネスの限界も感じました。それでも、その後わずか1週間の検討期間で、同じお客様に別のワークフローソフトをご導入いただき、これもお客様のニーズを把握していればこそお役に立てることができたのだ、という実感はありました」

パッケージソフト販売会社としてより幅広いアプローチをお客様に提供するために、松尾は3年前からパートナー企業の営業になった。これでアシストだけではできない、開発などを含めたサービスをユーザに提供することが可能になる。直接お客様のビジネスにアプローチをするかわりに、パートナー企業と協業することで複数社での提案活動が多くなり内容も複雑になった。それでもなるべくパートナーや技術者に任せるのではなく、要件や面談内容について自ら理解するように努めていると松尾はいう。

「これまでの経験から、それぞれの要件の構成要素を細分化することと、その各業務領域における構成要素を誰が何時までに対応するかを意識して活動しています。周りや情報に翻弄されるのではなく、自分の目と耳で見極めるということも、先ほど話した製薬会社のお客様から学んだことの1つですね」

自ら確かめ、行動することによって初めてわかることは多い。パートナー企業との協業という形態では直接お客様の要望や現状が見えにくく、はがゆいこともある。それでもパッケージ販売という枠をこえてより幅広いサービスを提供するためには、様々な人たちを巻き込んで選択肢を広げる必要がある。

「お客様が果敢にシステム戦略を展開する過程で、ITがいかにビジネス拡大に貢献できるかということを、紙に書かれたユーザ事例を読むのではなく現場視点で体験できたことは幸いでした。製品技術での体験、そして営業になってお客様から学んだことで、人間としても成長させていただいたと思っています」

アシストの社内で中堅営業マンとして活躍する松尾は、常日頃から率先垂範を心がけているという。「“こんな仕事は、私はしなくても良い”、というと思いは行動にでます。前向きな気持ち、熱心さ、積極性は言葉ではなく行動で示すものです。ですから言葉で後輩を指導、教育するのではなく、後輩の模範となるような振る舞いをすることを心がけています。そしてその努力は自分自身のためになると思うのです」

成長の種を与えてくれたお客様との出会い。松尾は自分は幸運だったという。そして誰もがそのような体験を得られるわけではないからこそ、自分もそんな種を後輩たちに投げられるような先輩でありたいという。

「私がお客様に恵まれたように、会社の後輩や一緒に仕事をするパートナーの方たちも、自分と仕事をしてよかったと思ってもらえるような仕事をしていきたいですね」

技術者としての経験、営業になってからお客様との接点を通して学んできたこと。お客様からいただいたたくさんの成長の種を、これからは自分の周りの人たちにも投げかけていきたいという松尾の思いは必ず芽を出すに違いない。

(文責: 株式会社アシスト 広報部 喜田 真弓)


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