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チーム職場での新しい気づきや、学びから成長する女性社員

[掲載媒体]INSIGHT NOW!
[日付]2012年7月3日


ワーキングマザーで3人の子持ちといえば思い浮かぶのは勝間和代さんだろう。公認会計士、トレーダーに経営コンサルタントを経て評論家という華々しい経歴を持つ勝間さんは、「わがままじゃありません!子供も仕事も手に入れるのは夢じゃない」、と言い放つ(ワーキングマザーバイブルより)。

チーム職場での新しい気づきや、学びから成長する女性社員

株式会社アシスト
人事総務部
小島 真生(こじま まき)

1991年4月新卒入社。アシストカルクなど、パソコンソフトの電話サポートを行うパーソナルソフトウェア営業部サポートセンターへ採用され、翌年、結婚/産休/育休に入る。93年サポートセンターに復職、オンサイトセミナー講師などを担当後、業務効率化プロジェクト部門へ異動、社内基幹システム開発に参加。98年、2度目の産休/育休取得、99年に復職後、総務部へ異動。2005年3回目の産休/育休取得、2006年に復職し現在に至る。




アシストにも、勝間さんと同年代で、同じく3回の産休、育休を取得しながら働き続けるワーキングマザーがいる。小島真生は人事総務部に所属し、勤怠管理から社員の健康管理、PCや携帯、サーバーなどの調達管理、福利更生など、総務庶務関係を幅広く担当し、現在はおもに人事採用にあたっている。

「人事総務の仕事は、多様で突発的な対応が多く、社員と直接関わる場面が多いです。スピーディで、かつ大量の処理を必要とされ、段取りや気配りと全体調和の感覚をいつも要求されますので、それに追いつけ追い越せの意識を持ってあたっています」と小島は言う。

小島が入社した1991年といえば、就職は超売り手市場。小島はコンピュータのことなど何もわからないまま、友人のお父さんから「アシストという会社がいい」という話を聞き、友人に便乗して試験を受け内定をもらった。

「当時ITという言葉はなく、コンピュータはまだ先進的で難しそうな分野でしたがアシストが募集していた部門がコンシューマ向けのPCソフトを販売しているところで、素人の女子大生でもなんとなく想像できる範疇だっだからです。まずサポートセンターで修行して、その後営業にいけると思っていました。IT企業はアシストだけでしたが、他にも大手から複数内定をもらいました。 しかし、自由そうな雰囲気と、面接官に当たってくださった先輩社員の方たちに温かみを感じ、PC経験もないのにここにしようと(笑)。PCも触ったことがない状態で入社して、キーボードも打てず、構造も理解せず、先輩も教育に手を焼かれたことと思います」

業務は電話サポートがメインで、秋葉原の大型量販店の店頭で、製品名の入ったブルゾンを着て販促活動をやったり、フェア等イベントに出展して店頭デモをやったりした。そして入社1年経たずに結婚し、2年目には1人目の産休に入る。

「当時は所属していた部門も全体が若かったし、1人前になってもいないのにいきなり休みをとってあきれられてしまいました」。復職後、小島はコンシューマでなく法人向けのUNIX系ソフトウェアのサポートに志願し、初めてネットワークの世界を知る。

「子供が1~2歳の頃です。その後グループウェアの走りであるLotus Notesを、当時の営業部でサポートするためにメーカーの資格を取り、オンサイトの教育セミナーで講師をしたり、某銀行に出向して関連製品のオンサイトサポートを行いました。そのうち、その製品を使って社内でワークフローを作ろうという話がでて、 1人で開発を行ったのですが、これがカットオーバー直後に動かなくなり、大批判のなか、このプロジェクトは製品ごと消えました。組織も解体し、全員転勤の話もあがるなどたいへんでした」

プライベートでは子供が5歳。小島は社内の基幹システムの開発チームに異動になり、その後、2人目を妊娠して、2度目の産休に入った。

「産休に入る前に事業部が虎ノ門へ移転することになって、その時点で人事総務部へ異動希望をだしました。対人的な仕事への指向と、転勤で被るであろう長女へ影響の配慮からでした。自分は技術の仕事が好きでやっていたんだろうかとか、自分の仕事のやり方に課題がたくさんあるのでは、といろいろ考えた結果です」

技術に携わっているうちに、学生時代から人と接する仕事が好きだったことを思い出しての異動願いだった。こうして事務職となり、先輩から一から教えを請いながら、総務部で社員のサポートに奔走するうち、2005年、3回目の産休/育休を取得し、再び2006年から復職した。

「一人目の産休中は時間だけがあって、両親も遠方で近所に知り合いもなく、 助けのないまま孤立した子育てをしていました。そのなかで学生時代の友達や、会社の同期の仲間はどんどん成長していっているのを見て、まだ何も会社で結果を出せていない状況にも、あせりました。でも当時は子供が出来れば辞めることのほうが多かった時代ですので、それも仕方ないかなとも思いました」

小島が仕事を辞めなかった理由は、まだ若い身で家族が増え、将来の家計も考えてだったという。

「このままではお金が足りない!」という脅迫観念がありました。それで仕事か家庭かを選択するなど心の余裕がなく、働かざるを得ないと思いました。だから、胸を張って、仕事が好きで続けましたなんて実は言えません(笑)。 でも最初は子供のせいで休んだりすることを批判的にみる人もいる中で、仕事を続けていくと、言葉は悪いかもしれませんが周りの人も慣れるというか、あきらめてくれるんですね」

それだけではない。コンピュータの世界は、この頃からそれまでのスタンドアロンのパソコン環境から、ネットワークが普及して、WWWの世界も一般人が参加できる時代になり、新しい技術やビジネスモデルが続々と出てきて、非常に面白い時代になってきた。

「そういう環境で新しいことを覚えるのはとてもエキサイティングなことでした。ですからもとの一人ぼっちの育児ライフに戻るなんて考えられませんでした。 2人目、3人目は、限られた育休期間を満喫しつくしてやろう、とあれこれ手を伸ばしたおかげで、非常に主婦生活が充実し、楽しかったです」と小島。

今、3人の娘たちは19歳、13歳、7歳になった。毎朝 6時半には起きて支度をし、娘に朝食を食べさせる。お弁当の日や、小島が人事採用活動などで早く出勤する日はそれよりも早く起きる。三女はアレルギーがあるため毎日給食用にお茶の水筒と自家製パンを用意しなければならない。家をでるのは7時半。残業する日もあるが、たいていは5時半に退社するようにしているという。19時半に三女の迎えにいってから帰宅。夕食、子供の勉強や宿題、洗濯、片付け、できる日は三女を寝かしつけるときに読み聞かせをし、自分の就寝は12時をまわる。

「振り返ると、今はとても楽になりました。平日週に1回は家族に頼んで、ジムにいったり飲みに行ったりもできるようになりましたし、家事は、家族が分担してくれることも増えました。通勤時間は読書や音楽を聴いたりする、自分の時間です」

子供たちは年齢が6~7歳離れているため、今年末の子が小学校にあがるまで、1年だけ休んで19年間保育園に通った。

「これまでは常に子供がインフルエンザになったり、熱で保育園に呼ばれたりとたいへんでした。それに我が家は長女は喘息、次女は卵アレルギー、三女は小麦、卵、牛乳のアレルギーがあります。お弁当の世話、通院や入院も何度もありました。一番たいへんだったのは、やはり 一人目のころ。“仕事は最後まできちんと責任をとるべき”とか、“子供にはおいしい食事 と清潔な住居環境を”とか、そんな『べき論』に縛られていたからなんです。保育園の先輩ママに「適当でいいのよー」とか言われても、“あなたはパートだからで しょ”とか、“両親に手伝ってもらっているから”と、どこか人を批判的にみてしまっていました。そんな、頑なな気持ちだったこともあって、一番きつかったですね」

そんな小島が変わったのは、2人目を出産し、さらに3人目を授かってからだという。

「自分の見方は偏狭だったと思えるようになってきたのです。もちろん、子供も育って、家族が世話を手伝ってくれるようになって心の余裕ができてきたせいもあると思います。こうして徐々に、すきを見ては自分の楽しみを隙間時間に入れていくようになりました」

子供がいると、近所づきあい、学校行事、地域への参加は避けられない。小島も、子供は地域で育つものだと信じている。だから仕事しているから活動ができないというのは小島にとって理由にはならなかった。

「会社勤めなので、と言って、作業の内容を酌量してもらうことはできるからです。保育園から中学校まで、それから地域の子供会でも少子化の折、役員は持ち回りでした。また、アレルギーの子供の会の会長もしたし、保護者会の副会長、卒業アルバム委員、地域のこども会の会長、持ち回り分はなんでもやりました。平日活動が必要な役割は、産休に集中して引き受けましたので、いつも妊婦か乳飲み子連れの身体でやっていました。卒園の卒業アルバムは1年を通して行事を撮影しますが、平日撮影にはいけないので、フィルムの現像担当だけ。 集合写真でも、写っている人数分焼き増し無料、という業者を見つけて、現像に通い、年間予算も削減しました(今はデジカメの時代ですが) そんな風に楽する方法ばかり考えていました」

一人目の子育て時代に感じた焦燥感は、父親の影響があったかもしれないと小島は言う。

「女子は嫁に行くので教育にお金をかけず、器用で優しく、気配りが出来ることが勝ち組、というような価値観を父は醸していましたね。ですから結果的に大学にいき、就職したとはいえ、私は最初、どこかでこの考えに 囚われ、甘んじていました。アシストの最終面接でなぜ働くのかと質問され、“生活するためです”、と答えましたが、本当は、“とりあえず自立して、素敵な奥さんになるまでの間”、という計算があったように思います。でも今は、ほんとうに生活するために働いています(笑)」

一方、ここ数年で、家族など身近な人が病気で命の危険に晒されることを数回体験した。

「身近な人がいなくなる明日も来るのだ、と思うようになってから、今を楽しもうという気持ちが強くなりました。その一方で、会社勤めをしているので、多少ですが経済的な安心感もありましたので、仕事をしないという選択肢は考えられません」

小島が仕事を辞められないもう一つの理由は、職場での新しい気づきや、学びがたまらないからだという。

「会社はたくさんの人が一緒に働いていますので、その人の考え方や生育背景に 触れる瞬間も多いのですが、すごいな、という新鮮な驚きが日々あります。 特に(会長の)ビルさんの考え方はほんとうに感銘します。すごいのはその考えをまんべんなく共有させ、同じ目線で働ける環境を作っていること。もちろんそれをバックアップする組織があるのもすごいと思います。今は人を採用して、現場に送る業務の割合が多いので、おのずと人を成長させたり、入った後のキャリア形成にどう繋げていくかにとても興味があります。これからどんな仕事に行き着くかはわかりませんが、このような環境で働けることに感謝していますし、面白い仕事をしていきたいなと思います」

小島と長く一緒に仕事をしてきたのが、人事総務部の上司である宮内後(みやちご)である。小島が自分で語らない、真実の小島の姿を聞いてみた。

▲小島の上司の宮内後

「小島と一緒に仕事することになったのは、2003年からですので、早いもので10年が経とうとしています。小島にとって、私は、おそらく一緒に仕事したくない上司だったかもしれません。実は、小島との出会いは、採用担当者時代の1990年新卒採用時に遡ります。入社前には、内定式が開催されますが、その内定式を無断で欠席した不届きな内定者がいました。それが、何と小島でした。

内定式に来ないので、自宅に電話すると、『はい、小島です・・』と電話に出るものの、明らかに寝ぼけ声で、寝ていたようです。前日は徹夜だったというのが理由でした。こんな時でも、特に慌てることもなく、冷静に対応していました。どんなことがあろうとも、少々のことでは動じない性格は、もう若い頃から生成されていたようです(笑)」

こんな内定者は初めてだった、と笑う宮内後だが、一緒に仕事をするようになって、自分自身、またチームメンバーに、小島は大きな影響を与えているという。

「小島の、周りを気持ちよくする性格ですね。仕事を頼むと、どんなに忙しくても『できません』『NO』とも言わず、また嫌な顔もせず、快く対応してくれます。ほんとうに働きやすいメンバーです。次に苦労を感じさせない性格。ご主人や子供さんの苦労があっても、辛い気持ちを表すことなく、いつも元気に振る舞い、頑張ってくれています。苦労なんて、本当にあるの?って思ってしまいます。そして、スーパーウーマン的な性格。仕事、家庭、プライベートの3役を、24時間かつ365日のフル稼働です。とても普通にはできないようなことを、いつも軽々とやっているように見せてくれます。いつ寝てるの?と感心させられます。これからも、人生を楽しみながら、長く働いて頑張って欲しいですね。そして、4人目のチャレンジがあってもいいかもですね(笑)」

こう語る宮内後自身も、頼れる人事採用担当者として学生、新入社員から絶大なる信頼を得ている。こんな人事部だからこそ、アシストに良い社員が集まってくるのかもしれない。

学校教育で男女平等に、職業を持って世の中へ貢献するよう訓練され、女性も遜色なく能力が高い人が数多くいる。しかしスタートは同じでも、実際、夫の転勤や出産、親の介護等ライフイベントにつきあうのは、主に女性である。

「それもやって、仕事で収入も得てというのは大変だし、夫の収入で生活できれば仕事を辞める、というのは自然な発想だと思います。でも大抵の場合、子供は大きくなって、いずれ手離れしてしまいますし、介護が一生続くわけでもない。手離れしてから再就職しようと思っても、難しいですよね。それよりは継続的に、出来る範囲で最大限能力を提供して、貢献することによっ て認めてもらって、自分も成長できると実感できる環境で仕事ができれば人間としてものすごく豊かな人生を送ることが出来ると思います。いろいろなモノを同時多発的に背負っている女性ですから、いつでも全力で走らなくても、と思います。無理せず、気負わず、可能な範囲で最大限努力すればいいんだと思います。もちろん走るときもありますけど」

『効率を10倍』、『年収10倍』という勝間本の影響でスーパーウーマン症候群に陥る女性も少なくないだろう。もちろん、勝間さんのように生産性をアップさせて年収をあげて達成感、幸福感を持てるならばそれもいい。しかしいくら人のやり方をマネして努力をしても、人の成功例は環境も行動様式も違う他人から生まれたもの。長期的に成長を目指す道は自分自身の生活のなかで見つけるしかない。

「1人目で子どもを抱っこしすぎて肩こり腰痛、その後ヘルニアになりました。お医者さんから“筋肉が少なすぎるので運動したほうがいい”、といわれてジムに通うようになって、今は趣味になっています。 ヒップホップやラテン系のダンス、スタジオでバーベルエクササイズなど。子育てが長いですから、ずっと元気でいられるように(笑)」

次は孫の世話を余裕でこなせるおばあちゃんを目指したい、という小島にとって成長とは、変化に柔軟に対応し続けること、なのかもしれない。

(文責: 株式会社アシスト 広報部 喜田 真弓)


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