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アシストの教育部を率いる女性管理職

[掲載媒体]INSIGHT NOW!
[日付]2011年3月4日


厚生労働省の調査(2009年)によると管理職全体に占める女性の割合は8%、役職別に見ると部長職では3.1%だという。アシストの場合、取締役7人のうち2人が女性だが、全役職者のうち女性管理者は21人、役職者の12%である。その女性管理職の中、30歳で教育部の部長となり、現在23人の部下を率いるのが豊田敬子だ。

アシストの教育部を率いる女性管理職

株式会社アシスト
サービス事業部 教育部 部長
豊田 敬子

1993年、当時分社制をとっていたアシストが、データベース「Oracle」の総代理店として1987年に設立した株式会社オラクルに入社(株式会社オラクルはその後アシストへ吸収)。幕張にあったOracleのサポートセンターで電話サポートを担当、翌年よりOracle研修講師を兼務。1998年、Oracle研修チーム課長となる。2000年、教育部発足とともに部長に就任、現在に至る。




豊田が入社したのは株式会社オラクル。分社制度をとっていたアシストがデータベース「Oracle」の総代理店として1987年に設立した会社だった。

「教員志望だったので、大学4年の8月末まで教育実習に行っていたため就職活動に出遅れ、幕張メッセで行われた就職説明会に行き、目に止まったのが株式会社オラクルのブースでした。インスピレーションで応募を決めたので、内定するまでアシスト社長のビル・トッテンのことも知りませんでした」

入社後、幕張のサポートセンターでOracleの電話サポートを担当する。翌年にはそれに加えてOracle研修講師、フィールド・サポートも行うようになり、1996年に新たに研修を専門に行うチームが作られ、Oracle研修講師として頭角を現していく。

「すべてのコースを担当できる講師が私しかおらず、出張も含めて1ヵ月間ほぼ毎日講師を担当したり、他の仕事を終えた後の業務時間外にセミナールームのマシン10数台分の設定や配線を一人でしなければならなかった時などは、床を剥いで、ケーブルを這わせて・・・と、2日徹夜したこともあります。振り返ると大変な時はたくさんありましたが、様々なことに挑戦できたからこそ、今何をすべきか、アシストで自分が何をすべきなのかといった気づきが得られるのだと思っています」

1998年、豊田はOracle研修チームの課長となり、5人の部下を持つ。

「その時上司だった男性の先輩から、“せっかく女性でマネージャーになるのだから、マネージャーになったことで驕り高ぶったり、偉ぶったりしないで、常に優しくたおやかな気持ちを忘れないでね”と言われました。その言葉は今でもずっと耳の奥に残っていて、トラブルが起きた時や対人関係で問題が起きそうになった時、常にささやきとして聞こえてきます」

この言葉は性別を問わず新任マネージャーに向けられるべきこと。しかし男性優位が一般的なビジネスの場においては、女性の上司に抵抗を持つ人がいることを考えてのアドバイスだったのだろう。

豊田自身も、個人的には男性の方があらゆる面で優れているという考えを持っていると言い、そのため、相手が強烈な男性優位な考え方を持っていると感じた時は、かなり気を遣い、また自分を制して我慢を強いられる場面もあるという。

「私自身は偉ぶってないと思っても、相手にそう感じさせてしまうこともあるかもしれません。先輩から言われた言葉が私を制してくれる時もありますが、制しきれず、本当に眠れないくらい反省する時もあります」

2000年、教育部発足とともに豊田は教育部長に就任する。部下は9人。

「本社ではなく幕張営業所での純粋培養、製品知識もデータベースのOracleオンリーで育ったところに、情報活用系や運用系プロダクトと、触れたことのない分野の研修を統合していくという、本当に大変なミッションでした。就職した時は(アシストに限らず)男社会で出世なんてしないだろうと思っていましたし、媚を売って役職についたつもりもありませんが、女性でしかも経験が少ない中で部長ということで、反発がなかったわけではないので、正直、きついこともありました」

しかしそれと同じくらい、豊田の昇進を喜び、また励ましてくれた先輩たちもいた。

「幕張に内線電話をくれて励ましてくださる方もいました。それは辛かったこと以上に、助けていただいた温かい思い出として心に残っています」

特に嬉しかったのは、部下となった9人が全員協力的だったこと。

「教育部立ち上げ期は、何から手をつけてよいか全くわからない状況でしたが、部下全員が自分のできることを考えカバーしてくれました。特にその時の課長とは家も近かったので、遅くまで呑みながら、今後の教育部について語り合ったこともありました」

こうして教育部でこれまでの研修ビジネスに加えて、人の育成、人材教育分野の勉強や情報収集を熱心に行い、新たにeラーニングのビジネスを立ち上げた。もともと教員志望、そして研修講師も務めてきた豊田がこの分野を任されたことは幸運だった。この期間に試行錯誤しながら学んだことは、メンバーの育成のみならず、現在担当している全社の新人研修やスキル研修など、さまざまな場面で役立っているという。アシストに就職する際に高校の恩師に相談に行くと、「教員はいつでもできる。先ずはサラリーマンとして2~3年でいいから社会に揉まれて来い」というアドバイスを受けたという。その2~3年が、20年近いサラリーマン生活となったのも、日々の仕事の中に人の育成による達成感を感じるからだろう。

「女性で、かつ若く役職に就いたことで、“さぞかし優秀なのでしょうね”と言われた時はかなり心苦しい思いをしました。でも逆に、社内外の多くの偉い人や優秀な方々と出会えたことでたくさんの刺激を受け、さらに自分が成長できたことはラッキーでしたし、また多少の失敗も若気の至りと許していただけたのも、若かったからこそ。感謝しています」

部長職について10年、もう若気の至りは通用しないかもしれないが、これからも研修/eラーニング・ビジネスの拡大、そして育成関連業務の拡充に挑戦していきたい、と言う。

「大学の頃もサークル活動で自分から苦労を背負い込む性分でしたし、20代の頃はとにかく夢中で仕事をしていましたので、仕事は仕事と割り切れず、うまく立ち回れなくて仕事を抱え込んでしまう自分を呪ったり、他人を羨んだりしたこともありました。でも年を経て、特に役職に就いてからは、色々な人がいるんだということがわかりましたし、教育部メンバーの人生がハッピーになればいいと思うのと同じように、誰であっても人それぞれ幸せを掴めるよう必死ならいいんだと考えるようになりました」

たとえ周りが、女性だからとか若いからという視点で自分を見ていたとしても、信念を持って自分のやりたいことを熱心に、そして常に女性としての気遣いを忘れずに対応すること。それが、女性とか役職者という以前の、一人の人間としての豊田の生き方だ。

「“船頭多くして船山に登る”という諺があります。ですからなるべく各課長やリーダーに担当業務の運営を任せるようにしています。助けが必要そうな時には、勿論手を差し伸べますし、常にアンテナを張って、メンバーの行動や緊迫度には気を使っていますが、基本的には自分自身で考え、人に頼らないで筋道がつけられるようになって欲しい。私自身が親にそのように育てられたことが影響しているのかもしれません」

子供の頃からあこがれていた教員にはならなかったけれど、アシスト教育部で扱う研修ビジネスやeラーニング製品にも、そして上司として日々携わる部下の育成にも、豊田は教職以上の満足感を感じている。

(文責: 株式会社アシスト 広報部 喜田 真弓)


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