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アシストを牽引する叩き上げ女性リーダー

[掲載媒体]INSIGHT NOW!
[日付]2010年8月18日


企業向けにコンピュータ・ソフトウェアの販売/サポートを行う株式会社アシスト。今でこそ女性を戦力にする企業は多いが、アシストでは1980年代の創業間もないころから女性の活躍が目出つ。現在、そのトップが森沢久美子。社内の女性社員、そして営業マンが手本とする森沢のこだわりの「自分磨きの仕事術」とは。

アシストを牽引する叩き上げ女性リーダー

株式会社アシスト
常務取締役 森沢 久美子

短大卒業後、大手旅行代理店、英会話スクール起業を経て、1982年アシストにスカウトされ入社。マニュアルの翻訳者、インストラクター、営業職、関連会社社長を経て、1992年本社取締役、2006年より現職。




月収半額でスカウト!?


森沢は短大卒業後、やる気満々で大手旅行代理店に入社した。しかし、当時、何を提案してもまったく通らず、1つの歯車であることに苛立ちを覚え、1年8ヶ月で見切りをつけてイギリスに留学した。帰国後は法人・個人向けの英会話教室を大阪で立ち上げ、その時の顧客企業の一社が大阪営業所を開設して間もないアシストだった。

アシストに出向いて社員に英会話を教える一方で、スポットで翻訳も頼まれるようになった森沢は、ある日社長のビル・トッテンから入社の誘いを受ける。

『英会話教室で月収40万円くらい稼いでいたのに、アシストが提示した月収は16万円。でもビルさんから、「英語は道具に過ぎないから長く働き続けるにはもう1つ何かを身に付けたほうが良い。それにはこれから伸びるコンピュータが絶対に良い」、そう言われて入社を決めた。コンピュータはまったくわからなかったけれど、大きな可能性がある分野だと思ったし、社員と接してアシストの社風に触れ、この会社なら仕事も任されてバリバリやれるのではと。新しいことへの好奇心からの転職だった』

翻訳者からインストラクターへ


森沢が入社した当時は、まだIT業界という括りはなく、コンピュータ利用が盛んになり始め、日本企業でようやく「パッケージ・ソフトウェア」(既製品のソフトウェア)の採用が始まった時代だった。アシストでマニュアル翻訳に携わるうちに森沢は、英語は理解できてもコンピュータがわからない、という壁にぶちあたる。

コンピュータに関する分厚いマニュアルを広げて技術を一から学ぶという方法もあったが、森沢はそれよりもアシストが売っている製品を徹底的に学ぼう、そのためにソフトを購入した顧客に使い方を教えるインストラクターになりたいと上司に談判する。

当時インストラクターは全員技術者で男性。技術もわからないのにと、その希望はすぐに却下された。会社としては当然の判断であろう。顧客との密なコミュニケーションが求められる現場に、そもそもソフトウェアを知らない翻訳担当の女性社員を出向かせるわけにはいかないはすだ。しかし、森沢はねばった。『納期通りに翻訳をして、製品の勉強は夜するからと言い続け、実際に夜の9時、10時になってから残業組の男性技術の社員に質問をしたり、レクチャーを受けながら製品の勉強をした』

こうして森沢は言い出してからなんと1ヶ月半後にはインストラクターとしてデビューする。周囲の心配をよそに、これが意外と顧客から好評だったという。『技術がわかる人が教えると説明をはしおることがあるけれど、私にはわからない人の気持ちがよくわかる。だから納得がいくまで教え方を工夫したり、教材を色分けしたり。お客様の目線で、というのをここでみっちり学んだようなもの』と当時を振り返る。

女性にB2B営業が務まるのか?


しかし、しばらくインストラクターとして実績を積むも、森沢は徐々にフラストレーションがたまっていく。

インストラクターとして最初はソフトウェアを購入してくれた客先にだけ訪問していたが、そのうちに営業マンと一緒に見込み客のところにも行くようになった。製品の特長や使い方を説明すると、お客さんは興味深そうに聞いてくれる。ところがしばらくして営業マンに状況をきくと、そのお客さんは別の競合製品を導入したという報告を受ける。

『私は結果にこだわるタイプ。かかわった仕事は、最終的な結果のところまで気になって仕方がない。インストラクターとしての役割りを十分に果たしたとしても、それが自分にとってのゴールとはどうしてもとらえられなかった。だから、契約という結果が出ないときは、なぜだめだったのかを徹底的に追求したくなる』。お客さんは説明を熱心に聞いてくれたのにどうして、ということが何度かあったあと、森沢は自分が営業になれば最後の結果まで出せるかもしれないと考えた。

当然ながら、営業になりたいという希望も最初は、化粧品のセールスじゃあるまいし、と社内で反対があった。80年代後半、メインフレームを利用する顧客のほとんどは大手上場企業。そんなところに技術経験も浅く、ましてや女性の営業は前例がないという理由だった。

ねばってインストラクターへの道を開いたように、最終的に森沢は営業職に異動する。『やりたいことがあればしつこく言い続ければ良い。希望をかなえるためには、自分で動かなければならないのだから』。森沢は自分の経験から、やりたいことがあっても会社がやらせてくれないと嘆く社員によくこうアドバイスする。

『私はこれができるのでやらせて欲しい、と手を挙げられるよう、自分を磨くこと。それから、すべて思い通りにいくとは限らないものの、“自分で選んでこの場にいる”という気持ちを忘れないこと。そうすればどんな仕事にも納得して、意欲的に取り組める』

しかし“自分で選んでこの場にいる”とはなかなか思えないのではないか?企業にいれば組織の一員として配置されるのは当たり前。会社から割り振られた場にいるのだと受身に捉えるのが普通かつ自然な論理である。しかし森沢の考え方は逆であった。


私たちは日々、行動を選択して生きている。その小さな選択の積み重ねが人生だ。自分で考えて行動したいのに、指示や命令ばかり、と不満を言う人は、どうすれば良いのか考え行動しているのだろうか。『“こうしたらどうですか”といった提案を上司にしてみれば良い。アシストはそういうことを自由に提案できる会社なのだから』。森沢は自分のやってきたことを振り返りながら、社員にそう話す。

つまり、自分が今の職場、今の仕事についているのは自分自身の選択と行動の結果だという考え方だ。

大抜擢をされてはみたものの…苦悩のはじまり


営業職に就いたあとは、森沢はその積極性とスピード感をもとに実績を上げていった。3年連続で全社の営業の中でトップの成績を上げ、営業チームを任され、そして営業部門を任された。全国の営業部門の責任者を経験したあと、36歳で関連会社の社長に就任する。

当時、IT業界はM&Aブームまっさかり。アシストでは製品ごとに「分社」というスタイルがとられていた。アシストが扱っていた製品のベンダーの吸収合併が続き、一番多くの製品数と売上を持っていた部門が、この「分社化」の流れの中で、ベンダーとの合弁で関連会社を設立したのだった。

入社以来、アシストの中で責任をまっとうしながらも自由に仕事をしてきた森沢だが、自分だけでなく社員のことを考える、本当の意味での管理者になっていったのはこの時からだと振り返る。「最初に社長として(合弁相手の)アメリカの会社に行って言われたのが、社員数を減らせ、ということだった。新卒の内定者は全員いらない、それから既存の社員も20%切れ、と。」

ビル・トッテンのもと、終身雇用を謳うアシストでそんなことができるはずはない。森沢は社長就任早々、アメリカで会議室に3日間缶詰にされながら、次々と説得にくる合弁先のアメリカ人幹部にNOを言い続け、最終的にはアシストのやり方でいくことを納得させた。帰国後、アシストのやり方を維持しつつ結果を出していったことは言うまでもない。

関連会社の社長として最後に森沢は大きな選択をした。5年ほどたってソフトウェア会社のオーナーは、アシストとの合弁ではなく、100%出資の子会社にしたいと提案した。そのため森沢に、アシストを辞めて日本法人だけでなくアジア太平用地域をすべて任せるとして、ポストと年収の両面で好条件を提示したのだが、その代わりに、アシストの社員をそっくりその子会社に譲渡する、というものだった。

一度任せられたら自由に采配を振ることができるというアシストのポリシーはここでも曲がることは無かった。ビル・トッテンは、最終判断を悩むことなく森沢に託したのだった。

森沢は月収が半分になっても入社を決めた当時のことを振り返りながら、アシストという会社を選択したことに誇りを感じた。最初の交渉経験から100%子会社になればすぐにリストラが始まることは間違いない。自身へのオファーがいかにすばらしいものでも、森沢はこれを受けるわけにはいかなかった。そして、アシストに残ることを選択した。そして合弁は解消されたが、それはアシストとしても大きな変化となるのであった。

解決策は常に現場にある


43歳で関連会社からアシストに戻って取締役に就任し、2006年、常務取締役に。「偉くなりたいと思ったことは一度もないけれど、ポジションがあがると責任が増える分、裁量も大きくなる。すると自分のやりたいことを具現化できるスピードも速くなる」

大手旅行代理店に入社した当時、幻滅したのは、いくら企画を考え、実行したいと提案してもそれが採用されることはほとんどないという現実だった。アシストに入ってそのハードルは低くなったとは言え、やはり一社員の頃は上司の説得に時間がかかった。取締役になれば、そのハードルはほとんどなくなる。

森沢はよく現場第一主義、という言葉を使うが、それは解決策が現場にあると考えるからだ。「お客様の声は現場が知っているし、解決策も現場にあると思う。そして経営会議がいろいろ決めたとしても実践するのは現場で、現場と接点がある人がそれを理解し、実践していかなければお客様満足度は上がらないし、問題も解決されない。だからこそいろんなアイデアや改善策、そういうのも現場からどんどんあがってきて欲しい」。だからこそ常務となった今も森沢は様々な現場からのアイデアを真摯に受け止め、最優先の取り組みとして経営判断に活かし続けるのだ。

森沢の考えるワークライフバランスとは


やりがいのある仕事を深夜まで行い、出張も多かったのでとくに結婚願望はなかったという森沢だが、38歳の時に結婚する。相手は仕事を通じて知り合った、具体的に言えばアシストのお客さんで、顧客とベンダーという関係から付き合いが始まった。

『相手は奥様を亡くして男手1つで子供を育てていた人。当時私は関連会社の社長職で会えるのは週末だけ。パートナーという関係で週末に会えればいいし、もし結婚するならお子さんが成人してから、とビジネスウーマン的な提案をしていたのだけど(笑)』と森沢。

ところが、『週末に会える、ではなく、結婚して週末に自分のところに帰ってくる、というほうが心が落ち着く。もちろん家事をするのは週末だけで良い。それに大変かもしれないが子供たちと家族として一緒に暮らした日々があったほうが、成人後に結婚するよりきっとうまくいくから』と逆提案されて結婚に踏み切ったという。

こうして仕事一筋だった森沢は家庭と家族という癒しを手にする。『振り返ると大変な時期もあった。でも結婚して本当によかった。家事は気分転換になるし、私自身は子供は生まなかったけれど子供たちが結婚して孫ができてからは家族の暖かさ、家庭の居心地の良さを実感している』

アシストは社内結婚も多く、また産休、育児休暇に入っている女性社員が常時いる。それだけ女性にとっても働きやすい、仕事を続けやすい職場なのかもしれない。アシストの女性社員に森沢はこうアドバイスする。

『子育てのために残業はできないといったハンディを背負っても、やっぱり彼女じゃないと、という強みを持ちなさい。同じ条件だったら残業のできる人と働きたいでしょう。勤務時間が多少短くても強みがあれば堂々としていられる』

(文責: 株式会社アシスト 広報部 喜田 真弓)


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