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すべて現場が教えてくれた。

大城 壮(Takeshi Ogi)

情報基盤事業部 営業統括部 戦略顧客営業部

2002年4月入社。研修後、取引先会社(通信キャリア系子会社)へ出向。2003年3月末に出向先より戻り、5月から「運用ソフトウエア事業部」配属。運用、セキュリティ製品担当営業を6年間従事。2009年5月から「東日本営業部第二支社」配属となり、アシストの全商材販売営業を2年8ヶ月従事。2012年1月より「情報基盤事業部営業統括部」配属し現在に至る。


「楽しく仕事ができそう」という直感からアシストへ


マネージャとしてチームを率いながら、自身も営業マンとしてお客様を回り、継続して社内トップの営業成績を上げている大城。アシストの営業の「顔」」としてチームのメンバーからも顧客からも頼られる存在の大城だが、大学時代のアルバイト先はいわゆる3Kの職場。安全靴にヘルメットといういでたちで工場で働いていたという。

「大学2年と3年の夏休みです。約2ヶ月間、毎日朝8時半から夕方5時まで、長袖、ヘルメットに安全靴で、朝と比べて夕方には体重が2キロ減るような肉体労働でした。いわゆる“現場”の方々ばかりの職場で、大卒の方はほとんどおらず、偉そうに振舞う高学歴な方やスマートな人など全くいなくて、本当に家族のように楽しく仕事ができました。温かい雰囲気の中で働き、一体感を体験できたのは現場ならではのことだったと思います」と回想する。

就職先として大城がアシストを選んだのは、ここなら現場のように『楽しく仕事ができそうだ』、と直感したから。
「アシストは、役職者でも『さん付け』で呼ぶなど、自由な雰囲気がありました。大手企業をお客様としてビジネスをしていながらもアシスト自体は大きくないので自由がききそうなこと、SIerのように『なんでもやる』会社というより、アシストならでは、という商材で長年やってきた背景があったことなどもあって入社を決めました。でももちろん選んでいただいたご縁があった、というのが一番です」

自分で考え、動く習慣を身に付ける


ヘルメットからリクルートスーツに着替えて就職も決まり、学生時代の思い出として、貯めたアルバイト代でタイに一人旅をし、2002年4月、大城はアシストに入社する。2ヶ月間の研修のあと、6月からアシストの取引先の某通信キャリア系子会社に出向した後、10ヶ月後にアシストに戻ってくる。

「運用ソフトウェア事業部に配属され、営業だと言われました。OJTに先輩をアサインしてもらえるのかと上司に尋ねると、『2年目だからいない』と言われ、その時は泣きそうになりました。さらに、担当になった営業テリトリのエリアは台東区、練馬区そして千葉県。ITに関する知識も技術ももちろんまだ身についていません。工場のアルバイトのように、これは現場に出て学ぶしかないと決意しました」

大城は製品の勉強をしながら、お客様先で同行したアシストの技術者が行う製品説明やデモをお客様のつもりになって必死に聞いた。担当になった企業はこれまでお取引のなかった企業がほとんど。自ら門を叩いて説明をするチャンスが得られると、アシストと自分自身をどのようにアピールし、お客様の抱える問題を聞きだすか試行錯誤の日々が続いた。

「上司だった部長の指導は厳しかったです。お客様向けの説明資料を作ってレビューをしてもらったのですが、何度やってもダメでやり直し。当時はお客様へ説明するより、上司への説明の方が怖かったくらいです。でも今振り返ると、営業のやり方から始まってすべての業務をイチから教えていただくOJTや、最初から売上が見込めるお客様の担当にしていただかなくて良かったと思っています。この時間があったから、自分で考え、動く習慣が身についたのだと思います」。こうして大城は徐々に『現場で使える営業力』を身につけていく。

担当となった台東区、練馬区、千葉県では飛び込みで新規開拓を狙った。
「入社4年目くらいでした。幕張にあるテレビショッピング会社さんで、最初は他社から導入した製品の保守切り替えという小さな仕事をから始まり、最終的には基幹システムのデータベースの仕事をいただけるようなお客様になっていただけました。このお客様から、“大城さんと話をしてると早くて助かる”という言葉をかけてもらいとても嬉しかったのを覚えています。内容は難しい話ではなく、『できる/できない』を担当営業として即答をしていたことについてのコメントでしたが、『上司に確認します』、とか、『持ち帰って検討します』、と言ったことはほとんどありませんでした。明確に権限委譲されていたわけではないのですが、上司との信頼関係が築けていたおかげだと思っています」

MTGの様子

2011年2月、アシストで協業ビジネスに力を入れるための新しいプロジェクトが立ち上がり、大城に白羽の矢が立った。
「大量データを簡単な操作で自由に分析できるBIツールを導入していただいたSIer企業に、外販もしていただくことになりました。この協業プロジェクトを日本全国で成功させたいと、自分の中で壮大な目標をたてました」。

翌月、東日本大震災、福島の原発事故が発生する。日本がどうなるのかという時に、協業ビジネスの立ち上げなどできるのか、というような状況に陥ったが、不安な中でも予定通り協業ビジネスがスタートし、熱意をもって取り組む大城に技術部隊の厚い協力も加わり、プロジェクトは順調に成果を出していった。協業の場合、例えアシストが開発した製品ではなくても「メーカー」とみなされる。だからスピードやサービスといった本来の供給元以上の付加価値を提供する必要がある。大城はアシストの営業のまとめ役としてそれを一つずつ実行していった。

学びと成長は現場にある


さらに今年5月からは新規開拓を専門とするチームも大城が率いることになった。大城も当初苦労したように、営業職で一番大変なことの一つは新規開拓だ。

「自分の他に、営業3人にアシスタント1人という少人数チームですが皆高いモチベーションでこの仕事に取り組んでくれています。ようやくこぎつけたお客様との面談を失敗に終わらせると次が無い状態なので、同行した時は「絶対に次へつながる爪痕を残して帰る!」を心がけて仕事をしています。うまく行かないケースもありますが、メンバーがへこたれないように自分自身も必死で頑張るようにしています」。アシストで自分ができることは「営業」であり、これからは自分だけでなく、売れる営業マンを増やしていくような仕事をしたいという大城にまさに適役である。

「最初の頃はお客様と技術者との会話に入っていくこともできませんでした。勇気を出して会話に入っていっても、お客様や技術から『何言ってるの?』『黙っといて』と言われたこともあります。それでもなお、必要と感じた時には会話に入り、それを繰り返していく中で、知識や間の取り方も身についてくると思います」

お客様とのコミュニケーションを円滑にするためのツールとして積極的に資料を作りこむ姿勢、また営業マンである故に欠けている技術のバックボーンを捕捉するために大城は努力を惜しまない。製品知識や見積りの作り方などは基礎知識として定型化できるかもしれないが、現場仕込みの大城の優れた勘所や理解の早さはマニュアル化することは難しいだろう。それは現場の場面に応じて変わるものであり、それこそが真の営業スキルだからだ。
『営業マンはどんどん現場で学んで欲しい、学びと成長がある場所は現場にあるのだから』。後輩たちにそれを伝えつつ、大城はさらに前進を続ける。

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