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人に支えられて今がある

社員紹介:人に支えられて今がある(家島 拓也)

家島 拓也(Ieshima Takuya)

サービス事業部
2007年アシスト入社。入社以来一貫してデータベースのサポート業務に従事。Oracle Databaseからスタートし、PostgreSQL、EDB Postgresのサポートを担当。その他に、社内外でOracle DatabaseやPostgreSQLなどの勉強会を実施、アシストのサポート部内で独自に実施していた新人向け教育メニューを「サポートデビュー検定」として制度化。iSUC別府大会やIBMユーザーシンポジウム広島大会にて「現場実践!アシスト流・シゴト改革~『IT×人×仕組み』で取り組んだ改善の法則 ~」で講演活動を行うなどサポート業務以外の活動も実施。経済学部経済学科卒。


学生時代はシンガーソングライターを夢見て


学生時代は、プロのバックコーラスをしていたこともあり、 シンガーソングライター志望だった家島。最初はギターで弾き語りをしていたが、ピアノも独学で習得し20歳には弾き語りができるまでに。J-Popで身をたてようと本気で思っていた。

シンガーソングライターは自分一人でできることだったが、大学の体育の授業でたまたま創作ダンスを体験した家島は、このダンスを通じてチームで何かを形にすることにも喜びを感じるようになる。家島たちにダンスを教えてくれた先生は全国大会レベル。その先生の指導のもと、体育で一緒だったメンバーでサークルを結成し、自分たちも全国大会に2年出場したという。

そのチームメンバーの一人が家島の彼女で、後に家島の妻となる。


アシストへの入社動機


大学3年の時、家庭の事情により将来を真剣に考えなければならない状況に陥る。お金やこれからの生活を考え、就職しなければという思いはあった。しかし、シンガーソングライター志望だった家島は「社会人としてのビジョン」がずっと描けないでいた。

「就職しない人とは結婚しない」という彼女は積極的に就活セミナーへ参加していた。家島も引きずられるようにセミナーへ参加。そこで講演をしていたのがアシストのビル・トッテンだった。講演内容はまったく覚えていない。しかし、家島にとってビル・トッテンの講演は相当なインパクトだったという。

Webで早速アシストについて調べ、企業理念である「哲学と信念」を目にする。それを読んだ時に「この会社だ」と思った。チームで何か一つの目標に向かう、というのは、創作ダンスチームの延長にも思えたし、自分に向いていると思った。なにより人を尊重するというところに惹かれた。

他にも2社受けたが、アシストの「哲学と信念」以上のインパクトを感じられず、「うちを選びますか?」という質問に思わず口ごもる始末で、当然のことながら不合格に。アシストへの入社を希望する一方で就職自体を躊躇していた家島だったが、2007年4月、アシストの入社式に家島の姿があった。


なかなか芽が出ず悩む入社後


入社後の配属先はサポートセンターに決まった。そこで家島はOracle Database(以下Oracle)を担当することになる。

同期には大野高志 がいる。余談だが、大野は自分がわからないことにぶちあたると真剣に涙するほど熱く、のちに同期の中でトップのサポート力を持つ男となる。

入社してからの1年半、家島はシンガーソングライターへの道があきらめきれず、また、アシストの企業理念にそった活動ができていないことを申し訳なく思った。中途半端だなと思って過ごした毎日。当然、上司や先輩からの評価も芳しくない。

しかし、彼らも黙って家島をみていたわけではなかった。最初に動いたのは当時、家島の所属チームのリーダー(現サービス事業部サポートセンター2部 部長)だった大谷正幸だ。大谷は自らを「再生工場」と称して、2年目の家島を自分の隣に座らせ、徹底的にOracleを基礎から教えた。この時家島はOracleへの理解が格段に深まったという。

また、当時評価者だった課長(現サービス事業部 統括部長)の細井淳司が、新入社員向けの研修「Oracleアーキテクチャ」の講師に家島を任命した。「入社1年目の子のこれからは自分にかかっている」。家島は強く意識し、必死に勉強した。

家島がOracleを担当して4年たった頃、アシストはオープンソース(OSS)のデータベース「PostgreSQL」のサポートを開始することになる。その立ち上げメンバーとして細井がアサインしたのは、大野ではなく家島だった。

PostgreSQLの担当になってからの3カ月は外部へ出向し、スキルを身に着けた。OSSなのでソースコードが見れる。スキルが身につくのがよくわかる。学びが楽しくなった。

同じ立ち上げメンバーに田中健一朗 (現データベース技術本部)がいた。わからないことを田中に質問すると田中は何でも答えてくれた。逆に家島にわざと考えさせるような質問を投げかけて、家島がその理由を突き詰める機会を与えた。田中に鍛えられ、思考が次第にロジカルになっていった。

出向から戻った家島は、PostgreSQLに関し、教育カリキュラムを作って、先輩をはじめ社内の技術者へ教える立場となった。家島はこの仕事に「これまで迷惑をかけた先輩方への恩返し」という思いで取り組んだという。

自分が共感して入社を決めた「哲学と信念」を体現するような上司や先輩。厳しい面ももちろんあるが、「自分が挫折しそうな時に助けられ、色々な機会を与えられ、本当に成長できたと思います」と家島は振り返る。



サポートも経営がわからないと・・・


今家島は、会社で業務をやるかたわら、人生100年時代を見据えて経営大学院に自腹で通っている。きっかけは、自分が企画した新人向けの研修だった。

現場視点で、着実に習得させることを意図していたため、当然、研修期間を長めに見積もった。しかし、経営層から 研修期間をもっと短くするように言われたという。理由は「経営的な視点から・・」ということだった。「経営的視点」。これはその後、家島の頭にずっと残ることになる。サポート担当として経験を積んでいく中で、現場視点だけだと やはり何かが足りないのではないか。自分の視点を広げたいと真剣に考えるようになった。

2人目の子どもが1歳半になり、妻が職場復帰をしたタイミングで大学院の話を切り出した。
「子どもが生まれ、車が買えるぐらいの投資を、なぜ今この時期に・・」と言われたが、「車を買ったつもりで、より良い人生のドライブを家族で楽しみたい」と説得。通い始めて1年になる。


サポート担当としてのこれから


現在、家島は、Oracle、EDB Postgres両製品のリーダーという役割を担っている。リーダーという立場になった家島には、同じ仕事でがんばっているメンバーのモチベーションをもっと上げてあげたいという強い思いがある。

その一つが一昨年2016年の「コンタクトセンター・アワード」*への挑戦だった。みんなで同じ方向を向いて仕事をするということは、かつて創作ダンスで経験した思いに似ている。それが自分にとってはアシストへの入社のきっかけでもあった。まだまだチームとしても実現したいことは多い。

  * アシストは株式会社リックテレコム コールセンタージャパン編集部が主催(共催:イー・パートナーズ有限会社)
   する「コンタクトセンター・アワード 2016」に初参加。「Wikiの活用」と独自の「DIYシステム」により
   サポート業務の効率化を実現したことが評価され「最優秀テクノロジー部門賞」を受賞

しかし、サポート業務に長く従事していると、これが果たしてお客様にとってベストアンサーなのか、と考えることも多くなってきた。お客様からの質問にわかる範囲で精いっぱい回答しているつもりだが、お客様の環境をもっとよく理解していたら、もっといい提案ができるのではないか。フィールドへ異動してもっとお客様に近いところで経験を積み、それをもとにサポート業務に戻るということも選択肢としてあるのではないか、と。

家島は現在、お客様はもちろん、サポートメンバーにとっても、Win-Winとなる場所を提供したいといろいろ考え始めている。最後に家島は「上司をはじめ、僕を育ててくれた先輩方、チームメンバーなど、本当に人に恵まれて今があります。僕も同じように周りの人たちに返していきたい」と締めくくった。

家島は前述の大野について「身近で頑張っている同期は自分にとって大きな存在でした」とコメントしている。その大野は今、付加価値創造部という新設部署へ異動し、サポートの枠を超えてお客様にどのような価値を提供できるかに真剣に取り組んでいる。

 <補足>一度は断念したシンガーソングライターだったが、現在は趣味の延長で仲間とアカペラを楽しんでいる。


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