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NO.29 星和電機

特殊照明、道路情報表示版に強みを持つ星和電機株式会社では、その光源となるLEDも独自に開発、商品化している。ともすれば早すぎると言われる星和電機の次世代技術への取り組みは、どのような環境から生まれてくるのだろうか。星和電機のDNAを育んできた土壌、その創業からの歩み、そして今回の不況の乗り越え方などについてお話を伺った。

Guest Speaker
星和電機株式会社
取締役専務
(星和テクノロジー株式会社 社長を兼務)
愛知後 秀作 氏

情報システム推進室 室長
(星和テクノロジー株式会社 常務取締役を兼務)
中原 一孝 氏


1. 星和電機の概要


はじめに、星和電機の概要についてご紹介をお願いします。

星和電機株式会社(以下、星和電機)は、1945(昭和20)年10月、京都で電気工事材料の卸業として創業しました(創業時社名は三星電気)。その後製造業に転じ、三星電気を解散、星和電機を設立し、国産初の防水・耐酸形蛍光灯器具を製造販売するようになりました。

今年64年目を迎え、「情報表示システム」「道路・産業用特殊照明」「樹脂製品」「電磁ノイズ対策製品」「LED関連製品」など五つの事業を柱にしています。星和電機の特長は、「ニッチな分野で大きなシェアを獲得」してきたこと、「他社に追随されない独自技術の開発」、「新しいことが好き」、「自由にやれる雰囲気」です。これまで世に送り出した『国産初』製品は数えきれません。

2. ニッチな市場で大きなシェアを


星和電機の特長の一つ目、「ニッチな分野で大きなシェア」を獲得してきた歴史を教えてください。

創業者の増山義三郎は、滋賀県土山の農家の次男として生まれ、小学校卒業と同時に、大阪の繊維問屋へ奉公に出されました。しかし、どうしても電気に関する仕事がしたかった義三郎はすぐに辞めてしまい、なんとか京都電灯(関西電力の前身)にもぐり込み、電気の仕事にありつきました。

その後、京都簡易保険局の電気設備主任技師として仕事をしていましたが、1943(昭和18)年、召集を受け歩兵通信兵として長崎に派遣されます。そして、1945(昭和20)年8月9日、義三郎は被爆することになるのです。つい1時間前に歩哨を交代したおかげで、命だけは助かったという経験です。

この時に人の運命というものを強く感じ、「自分は人様の役に立つために生かされた。京都に戻ることができたら、自分の好きな電気を通じて何か人様の役に立つことをしよう」、そう決意したそうです。

電気部材の卸業といっても、最初は建物が解体される時に出る電線やスイッチを安く買い取り、リヤカーを引いて販売するというものです。物のない時代ですから飛ぶように売れ、清水焼の碍子(がいし)にニクロム線を巻いた手作りの電熱器も、台に並べる間もなく売れていきました。

当時、戦火の被害の少なかった京都には、清水焼でつくられる碍盤(がいばん)、碍子など電気工事材料を求めて全国から電気商や材料業者が殺到しました。

卸売り業からメーカーへと転換されるきっかけは何だったのでしょうか。

戦後復興の担い手だった人造絹糸(スフ)を生産する化学紡績工場から防水・耐酸形照明器具の製作依頼を受けたのがきっかけです。化繊紡績工場では、人絹を生産する工程で酢酸を使うため、白熱球が酸の蒸気ですぐに錆びます。防水形、耐酸形の照明器具が必要とされていましたが、市場としてはニッチなこともあり、国産品はまだなく、高価な外国製品しかありませんでした。

そこで、「これはチャンスだ」と思った創業者が設計、開発に取り組み、国産初となる「GM型ソケット」を完成しました。GMとは増山義三郎のイニシャルです。生産工場はまだなく昼は電材卸商として営業に専念、夜に組み立て翌朝納品するという日が続きました。後にこのソケットはアコヤ貝に似ていることから「ウォーター・パール」と名付けられました。

光源を、当時主流だった白熱灯ではなく、消費電力も少なく寿命の永い蛍光灯としたのも特徴です。朝鮮動乱後の不況期には、湿気の多い銭湯に防水・耐酸形蛍光灯を導入してもらおうと毎夜社長始め全社員で現物を抱え、京都中の銭湯を1軒1軒訪問したそうです。

メーカーとしての第一歩を踏み出された訳ですね。

その後、石油関連製品を使う企業が急増したのも追い風になりました。これらの工場では作業工程で揮発性ガスが発生するため、工場照明も電気火花による爆発を防ぐ器具が要請され始めたからです。照明には様々ありますが、「防爆」となるとニッチな分野になります。

大手が参入しにくい限られた市場で、他社に追随されない独自技術で大きなシェアを取る。特殊照明は、現在も星和電機の柱の一つです。トンネル・道路用照明、発電所や石油精製基地などの警戒用投光器、原子力発電所用水中照明、クリーンルーム用照明などたくさんの国産第1号を送り出してきました。


他の分野についても教えてください。

配線設備用のカッチングダクトも、大きなシェアがあり、しかもロングセラー商品です。大手が参入するには市場が狭くて合わない。かといって、配送体制などをある程度整える必要があるため、小規模過ぎても手を出しづらい分野です。

そして、星和電機のもう一つの柱が道路情報表示板で、長い間売上の半分を占めている分野です。競合は他に2社ありますが、星和電機は若干の差で2位です。この3社で市場のほとんどを占めています。競合が少ないといった意味でもニッチな分野と言えるでしょう。

他にも、電磁ノイズ対策部材なども扱っていますが、当社はニッチの集まりを一つの形にしている会社です。それは、大きな市場の数パーセントのシェアを取るよりもニッチな市場で圧倒的なシェアを占めていこうという創業者の方針でもありました。

ところで、2002年の青色LED(発光ダイオード)※1新規参入発表時には株価もストップ高を記録されています。省エネという観点からも世間から注目される分野だと思いますが、最近の情勢はいかがでしょうか。

確かに当時は、世間の関心も非常に高かったですね。LED分野に進出して10年目になりますが、LEDは市場規模、競合会社の規模ともに、非常に大きく苦戦しています。

※1 青色LED(発光ダイオード)
発光ダイオード(LED)は半導体素子の一種で、種類の異なる半導体を接合させその境目で電荷を帯びた粒子をぶつけ合わせることによって光を発生させる。電気エネルギーを光に直接変換するため発熱などのロスがなく、白熱電球に比べて10分の1のエネルギー消費で収まることから、省エネ発光体として期待されている。光の波長が長い赤や緑などのLED は早くから実用化されていたが、短波長の青色の本格量産化は「20世紀中は不可能」と言われていた。これは、波長が短いほど光のエネルギーが大きいという性質によるもので、より相性の悪い物質を接合させる必要があるためだ。相性が悪いため安定的な量産化ができず、研究者は手をこまぬいていた。そうした中、日亜化学工業に勤務していた中村修二氏が93年、それまでの常識的素材だったセレン化亜鉛(ZnSe)と異なる窒化ガリウム(GaN)という物質を使って安定的に青色ダイオードを生産することに成功。これにより、青色LEDが実用化された。その後、95年に豊田合成も量産化にこぎつけた。

3. 光源にLEDを


LEDでは苦戦されているとおっしゃいますと。

LEDは物理と化学の技術で、従来の当社の技術の延長ではできませんので外部から人材を招きました。これまで、信号機などの交通標識、照明や情報板のメーカーとして事業を行ってきましたが、光源である電球や蛍光灯は購入していました。環境問題やコスト面からその光源部分には将来LEDが使われるようになると考え、10年前から研究開発を行ってきました。LED光源を自社で持てるようになれば、製品に高い付加価値を付けていくことができますし、部品として外販もできます。

LEDは競合の強い分野だともおっしゃっていましたが。

LED製造においては先行各社で様々な特許を持っています。星和電機は、先行の特許に触れない独自の方法で製造しています。製造方法の開発には苦労がありますが、特許料の支払いはありません。

すでにある特許を使用しないで製造しているのはなぜですか。

先行の特許を使用しなくても、遜色のない品質レベルの製品を製造できるという判断があったからです。先行の会社は、市場規模でも先を行き、生産規模の大きさもあり、我々は他社と真っ正面から対等に勝負できるとは思っていません。LEDにおいても、カスタムメイドのような小回りのきくニッチな市場で勝ちたいと思っています。

星和電機が強い分野はどこですか。

パチンコ台やゲーム機などのアミューズメント分野、世界規模で大きな売上のパーソナルゲーム機、それから車のインジケーターなどです。

ここでも、星和電機は「ニッチな市場、独自の技術で」がコンセプトです。

とはいえ、LEDは巨大な市場です。なぜニッチなところから巨大な市場に出てきたかと言いますと、ニッチな市場はニッチゆえに、そこで圧倒的なシェアを獲得したとしてもおのずと限界があります。それでは成長性がないので、ある程度大きい市場に出ていこうという方針もありました。

現在は既存の防爆形照明や国産初となる防爆形ハンディライト※2の光源に採用するなど、得意とするニッチな製品とLEDの組み合わせに留まっていますが、今後は、一般家庭や店舗などにLEDの照明を導入していくのが目標です。

※2 防爆形ハンディライト(耐圧防爆形LED ハンディライト)
防爆エリアは、可燃性ガスまたは引火性液体の蒸気が存在する恐れのある場所であり、電気火花による爆発、火災の危険性があるため、厚生労働省の型式検定試験で防爆認定を受けた電気機器の使用が義務付けられている。従来の防爆形携帯電灯は、その要求仕様を満たすため大きくかつ重くなり、携帯するには難があり、このため「危険エリアで使用できる小型のハンディライトが欲しい」というニーズに応え、自社開発のLED技術と、産業用特殊照明器具の開発、製造で長年培った防爆技術を融合させ、防爆でありながら小型で軽量なLEDハンディライトを製品化した。

一般の照明がLEDに移行していくとしたらいつ頃になりそうでしょうか。

まだまだです。白熱灯は徐々に代わっていくでしょうし、ダウンライト、間接照明、スポット照明などモジュール専用の照明器具メーカーもかなりLEDを出しています。ですが、主要照明にいくにはまだ少し時間がかかりそうです。

最近では環境意識の高まりもあり、白熱灯を電球形蛍光灯に取り替えている家庭や店舗も増えてきていますね。白熱灯が1個100円くらいで、電球形蛍光灯がだいたい1,000円くらいではないでしょうか。大雑把に言うと約10倍です。その蛍光灯をLEDに替えるにはさらに10倍くらいかかる。つまりLEDは白熱灯の約100倍かかるという訳です。確かにランニング・コスト(交換費用と電気代)は下がりますが※3、初期コストがまだまだ高い。我々もコスト・ダウンに努力していますが、一般家庭にまで普及するのはもう少し先になりそうです。

LEDには二つの用途があり、一つは照明用(ライティング)で、もう一つは見る方(ビュー)です。見る方はコントラストで見せればいいのでそんなに明るさがいらないんです。一方で、照明用は基本的に白色のLEDだけです。白はブルーの上に蛍光体をのせて白くするか3色を混ぜて白くしなければならない上、一定の明るさを得るにはコストが高くなります。

※3 LED のランニング・コスト
LEDの寿命は約4万時間(白熱灯の約40倍)で、消費電力は約4.3W(白熱灯の約10分の1)である。そのため、高所取り付けの照明等、光源の交換に手間のかかる場所への使用が期待されるが、価格が約1万円(40Wの白熱灯相当品)と現在はまだ高価である。

4. 関門トンネルに照明器具を一括納入


星和電機の特長の二つ目、「他社に追随されない独自技術の開発」は、これまで伺ったお話にも随所に出てきました。今までで、そのことを一番強く感じられた出来事は何ですか。

関門トンネルでの照明器具採用が一番でしょう。特に海底部の一番湿気があり条件の悪い過酷なところに星和電機の製品が採用されました。最終的に採用された照明器具の設計図面も星和電機のものです。この時大手2社と受注を分け合ったのですが、その2社は星和電機から部品を手に入れるしかありませんでした。

それらは偶然できたものではなく、これまで培った防水、耐酸、防爆に関する独自技術をトンネル照明に生かすことができたからだと思います。

このことがきっかけとなり、名もない京都の一企業が一流企業と肩を並べ、当時の道路公団指名業者に名を連ねるようになりました。その後、モータリゼーションの発達で高速道路網ができ、道路情報板を製造するようになるなど、培った技術の延長で次の市場に入っていくという流れでした。

この間にも、日本で唯一実物大の実験用トンネル(内装材などの反射率を東名高速道路のトンネル仕様に模したもの)を作り、その結果、日本坂トンネルの器具受注に繋がるなど、独自技術の開発には惜しみなく投資をしてきました。技術を重視して星和ブランドでやっていく。名もない会社ながらそんな気迫がありました。

それにしても「一番」が多いですね。

昔から新しいもの好きなんですね。新しいことをやるために投資を惜しまないという意味では、星和電機では昔から技術者を海外の展示会に派遣していました。カッチングダクトも元々は海外から技術を学び、日本の現場に合わせて開発し発売したので、日本製としては一番目になったということです。

ただ当社は新しい技術を取り入れることがなにより好きではあるのですが、やることが早すぎる嫌いもあります。時代が付いて来ないというか、まだ市場がない頃に発表してしまうのです。そうすると世間の反応もあまり良くない。そうこうしているうちに、よそが大きな実を付ける。もうちょっと辛抱強くやっていれば良かったということもありました。

まだ本当に小さい会社だった時から全国の有名大学の優秀な学生が入社してきました。「どうしてこんな会社にこんなに来るのだろうか」と思いました。非常にオープンで何でも好きなことをやらせてくれる会社だったからでしょうか。その頃の従業員の平均年齢は20代と、全体的に若かったですね。

当社所有のIT機器も「1号機」がすごく多くて、HUBやスイッチなど、どこどこのメーカーの1号機というのを持っていたりします。とにかく「一番」が好きなんです。本を見ていて「こういうのが出るかもしれない」と知ると、すぐに電話をして「送ってください」というくらい新しいものが好きですね。

5. 星和電機のIT


それでは、星和電機のITについて教えてください。

1980年に最初の電算システムが稼働しました。受注、販売、回収、固定資産管理、給与計算などの一連の業務を自社電算室で処理できるようになりました。

本業の情報板部門ではすでにマイコンを使用していたこともあってコンピュータになじみやすい素地はありました。情報板は元々は照明を制御するための自動制御配電盤を開発してきた技術の延長で作るようになったのですが、1面で2,000個から3,000個のランプを選択表示させるため、裏側は細かい配線と半田付けだらけです。これにマイコンを使うことで、配線を劇的に減らしました。

また、電話回線を使って表示板を遠隔から操作するようなこともやっていましたので、コンピュータのネットワーク化にも抵抗がないというか、むしろそういう使い方ができて当たり前みたいな感覚です。1988年頃には電話の内線にモデムをつけてネットワークを組み、パソコン通信や掲示板などを社内でやっていました。またLANケーブルは、線とコネクタを買ってきて自分達で作りました。こっちの方が本業に近いため現場にも何の抵抗感もなかったですね。

そういった様子を見て、「これは結構世の中でも先端を行っているかもしれない。外に向けて商売ができるのではないか」ということで、1995年に電算部門を別会社とし、星和情報システム株式会社(現星和テクノロジー株式会社、以下、星和テクノロジー)を立ち上げました。

そういう背景もあって、星和テクノロジーの得意分野は、ネットワーク構築、サーバ構築、システム構築です。「ネットワーク構築」と言っても言葉だけでは差別化が難しいですが、人がやる前にやるということが好きなので新しい技術の導入は早いです。これは星和のDNAですね。

新しい技術の導入が早いというところで、エピソードはありますか。

星和電機が170億円くらいの売上の時にITに5千万円くらいの予算を使わせてもらいました。自由にやらせてもらえたので、コンピュータを買ったり、ネットワークを組んだり、最新の技術に取り組むことができました。 その頃は会社も右肩上がりの時代でITへの投資も積極的でした。

1990年頃には学術系ネットワークJUNET※4に繋いでいましたし、Webシステムの導入も早かったです。HTMLがまだ一般に広まっていない頃からHTMLを使っていました。世の中が急速にネットワークで繋がるという予感がしましたね。

※4 JUNET
JUNET(ジェイユゥネット、Japan University NETwork)は、日本の学術組織を結んだ研究用のコンピュータ・ネットワークである。今日インターネットと呼ばれているネットワークの日本における実質的な起源。1984年10月に東京大学、慶應義塾大学、東京工業大学を結んだ実験ネットワークとして運用を開始した。その後多くの大学や企業の研究機関が参加し、最終的には600以上の組織を結ぶネットワークとなった。

HTMLの存在はどうやって知ったんですか。

協力してもらっていた大学の先生がいて、その先生が取り組んでいる新しい研究について話してくれるので、研究段階で知る訳です。これからはこういうのが出てきて世の中はこうなる、と教えてくれるのでそれを聞いて実装しました。それが後にHTMLとして広く知られるようになったという訳です。

なぜそういう情報が入ってくるようになるかというと、やはりDNAというか、星和には「新しいもの好き」が集まっていて、外へ出て行く志向の人間が多い。外へ出て人脈を広げて先端の情報を仕入れてくる訳です。

名古屋大学の計算機センターには2年くらい通って、いろいろ情報をいただきました。仕事もしないで大学に行ってばかりいましたから、そういうことをやらせてもらえる環境だったということが一番でしたね。コンピュータの勉強ばかりしていました。

1990年代になると、工場の人員を含めた300人のうち80人が自分のパソコンを持っていて、事務系ではほぼ全員が1人1台という環境でした。

一方工場では、組立現場の他に設計などの開発部門もありますし、ほとんど教育をしなくても皆コンピュータを使えました。自分でプログラムを書ける人も多く、自分が仕事をしやすいようにプログラムを作ってしまうので、現場では実際色々なシステムが動いています。逆に統制上困ることがあるくらいです。

個人で作ったプログラムも全体のシステムと一緒に動いているということですか。

そうです。星和の特性という話になりますが、一定の計画生産で個々人の判断が入る余地が少ない製造現場ではなく、道路情報板など一品ものの生産をしていることもあり、個々人が判断しなければならない場面が多くあります。それぞれが自分なりのノウハウを持っていないと仕事が進まないということがあって、個々人が自分の仕事のために作成した小システムがいくつもあります。

データを二次加工して自由に使う方がパフォーマンスもいいので、これまでは現場で自由にやってほしいという姿勢できました。しかし、内部統制やIT統制という流れの中で、このままではちょっとまずいだろうということになってきました。

6. 自由にも枠を ~内部統制への取り組み~


それで、内部統制に取り組まれたということでしょうか。

先ほどもお話ししましたように、星和電機では、個人のパフォーマンスが上がれば少々のことは問わない。性善説に立って、社内で不正や誤謬は起きないと思ってやってきました。しかし、内部統制という観点からは、自由度を調整していかなければならない。

何よりも、仮に悪いことが起きていないとしても、「きちんとやっている証拠」を残さなければなりません。そのために、2008年にアシストから内部統制関係のソフトを一気に購入しました。

OS監視用に「CAAccess Control」、データベース監視用に「PISO」、それらのログの統合管理に「Logstorage」、そしてログのモニタリング用に「監査れポータル」を導入しました。

導入してみていかがですか。

入れた結果わかったことですが、Oracleの重要なテーブルに直接SQLコマンドを発行して、アクセスしようとした痕跡を見つけました。実は2000年以前に入社した新入社員には全員Oracleの講習をしましたので、技術を持っている従業員はたくさんいます。

その上今は、インターネットでツールが出回っているので、それらを組み合わせれば様々なことができます。パケットを解析するツールなどもフリーで簡単に手に入ります。サイトに書いてある通りに自分の会社のシステム名を入れて、アクセス先を入力していくと、よくわからないけれどデータが取れた、というようなケースも考えられます。個人に悪気はなく、ただ自分の仕事をやり易くするためのことではあっても、内部統制上は問題有りです。これらのことは、決して当社だけの話ではなく、どこの会社でも起こり得る可能性があると思います。

そこで、「自分のやっていることは何の問題もありません。どうぞ見てください」というような証跡を残し、ログをオープンにする環境を作ることで、自由の中に一定の枠ができる、そう考えました。その方がお互いに安心して仕事ができます。

すでに一部のログのモニタリングは開始していて、2008年度末までには対象となるログのモニタリング環境構築をすべて終える予定です。

さらに、次の段階としてワークフロー・システム(日立電子フォームワークフロー)で、特権IDの利用などに関する「申請・承認業務」を電子化し、そのデータと実際のログの突合せも自動化する方向で構築を進めているところです。

7. アシストとの出会い


アシストとの取引はどのように始まったのでしょうか。

ある会社の営業からの紹介です。1996年頃でした。当時、生産管理システムを汎用機からオープン系に移行する計画があり、そのための研究という観点から、その頃手に入るデータベースのほとんどを買って試しに使っていました。

どのデータベースにもそれぞれ問題がありました。将来性がよくわからなかったり、会社の対応がよくなかったり、エンジニアがいなかったり、東京の販売会社に「箱根は越えない」と言われたこともありました。ちょうど、「データベースならOracle」というような市場になりかけている時でしたが、そのOracleで、どうも思ったようなパフォーマンスが出ない。当時Oracleはあるハード・メーカーから買ったのですが、そのハード・メーカーに相談しても、ハードのスケールアップを薦めてくるだけでした。

「この程度のパフォーマンスで世界中で評判になる訳がない。どこかがおかしいに違いない。でも、どこがおかしいかわからない」と悩みました。それで、出入りしている人達に片っ端から「Oracleに一番詳しい会社を紹介して欲しい」と頼みました。それで紹介されたのがアシストという訳です。

そこで、一度見に来てもらったところ、簡単な設定の変更で、数分掛かっていた処理が1秒とかからなくなりました。驚きでした。その時から、「Oracleを買うならアシスト」と決め、その後も順次アシストからOracleを導入しています。生産管理システムを汎用機からオープン系に切り替えた時から、ずっとアシスト一筋です。

ちなみに、その年のアシスト西日本でのOracle購入額は、大手2社についで3番目の規模だったそうです。実際、その額は当時としては大きな投資でした。星和では、必要なことには一気に投資を行うことを積極的にやってきた歴史があります。

8. アシストへの期待


アシストへの今後の期待があればお聞かせください。

97年頃からアメリカの展示会に行くようになったのですが、Oracleの展示会には必ず行っています。そこで発表されているプロダクトを欲しいと言うとサンプルをくれるのですが、まだ日本に入る前のものですから、日本オラクルにもわかる人はいない。アシストに聞くと「わからないけど一緒にやってみましょうか」と言ってくれる。まず、断るのではなくて一緒にやってくれるところがアシストの一番良いところです。

それから、始めの頃は星和がまだOracleに慣れていないこともあり、随分サポート・センターに問い合わせをしました。Oracleを本格導入し始めてからの3年間ほどは、アシストのサポート・センターでは、星和が問い合わせ件数1位だったと聞いています。しかし、休みの日や夜中に仕事をしていると問い合わせができない(現在、アシストのOracleサポート・センターは24時間365日対応)。

そんな時にアシストの営業に電話をして、「今トラブルで困っているのでSEさんをつかまえてください」とお願いすると、快く「わかりました。何とかします」と言ってくれました。お正月も関係なく電話をしたこともありましたが、そんな時でも、かなり柔軟に対応していただきました。他の会社はそこまでのフォローはあまりないですね。今は星和でもOracleのことをよくわかっているのでトラブル自体が起きなくなりました。

見ていると社員がアシストを頼りにしていることがよくわかるんですね。会社の規模や背景にあるものも大事ですが、前面に出て対応してくれる人が最も大事なので、ここは理屈ではないところだと思います。

アシストって不思議な会社だと思っています。アシストのプライベート・フォーラムに行くと数百人の人が来ています。よくこれだけの人が来るものだと思うのですが、おそらくみんなアシストという会社が好きなんだと思います。不思議なくらいに。トッテンさんの魅力もあるのでしょう。社会の見方など、印象的でしたね。

アシストに要望したいことは、星和テクノロジーとして新しいプロダクトの話をよくしているのですが、共通のお客様に向けて一緒に何かできるのではないかと考えています。しばらく市場の景気は良くないかもしれませんが、じっくり落ち着いて戦略を練りましょう。

9. コストをパワーに ~枠があるからこその自由~


最後にお聞かせください。星和電機は過去何度も不況を乗り越えて大きくなってきました。今回の不況はどのように捉えていらっしゃいますか。

開発などコストの面が強調されているし、最近入社した人が多いのでこちらの面でも最初はコストが先行します。 確かに経費は削減しなければならないですが、人的コストはある面ではコストではあるけれど、裏返せばパワーであると考えています。そのためには管理職がこのパワーをいかに発揮させることができるかが大事です。

市場は確かに厳しいですが、パワーを持っているのだという感覚にならないと、コスト削減という見方だけでは乗り越えていけないだろうと考えています。幸い当社は若い伸びていく人が多いので、それをパワーに変えていくことで次のステップになるだろうと考えて、1にパワー、それでも駄目だったら次にコストです。

過去に、リストラを行ったことがありますが、リストラで人件費は減りはしましたが、同時にパワーも落とすことになりました。問題は今のパワーがうまく使われているかどうか、どんなパワーかを見極めることで補えるものもあるだろうと思います。個人のパワーを伸ばして会社も伸びることがもっと必要ですね。

どのようにしてパワーを伸ばすのでしょうか。

星和では「枠を決めることをしっかりやる」という文化があります。こう言うと、枠にはめられて縮こまってしまうのではないかと思われるかもしれません。しかし、最初にきっちりと枠を決めたら、枠の中では何をやっても良いのです。予算でもやりたいことに必要な額を最初にきっちり決めたら、後は一気に投資します。そうすることで、任された人は安心して自由にできます。こうやって個人のパワーを伸ばしてきました。

最初に枠をきっちり議論せず、「君の好きなようにやりたまえ」というような枠のない自由は、かえって怖くて慎重になってしまう。だから上の顔色を見ながら小出しにちまちまと進めるか、何もやらなくなってしまいます。

「枠」はどうやって決めるのですか。

どこまで構うか、任せるかは、その人と会話をして観察をして判断します。とことん会話をすることが大切です。結局、組織は人です。要かなめにどういう人を置くかということも、会話を重ねることで判断しています。

星和電機では、今までは外注や請負で量をこなしてきました。団塊の世代が定年で辞めていくので外の力で補ってきたという面もあります。しかし、中のパワーを整備しないと外の力を活用することもできなくなるので今は若い社員を増やしています。

事業環境は分野によって様々なので、市場にパワーを合わせていくということも必要です。星和テクノロジーでは、当面の市場環境を考慮して再編成をしていこうと思っています。昨年の終わり頃から極端に変わってきているので、前提を再点検して、それに合わせてパワーの持っていきどころ、組織の編成も考えたいですね。




取材日時:2009年1月
星和電機 Webサイト

現在、星和電機様でご利用いただいている製品、サービス
  ・リーレーショナルDB/Oracle
  ・データベース監視ツール/PISO
  ・アクセス管理ツール/CA Access Control
  ・内部統制評価支援ツール/監査れポータル
  ・電子フォーラムワークフロー/Cosminexus電子フォームワークフロー
  ・統合ログ管理システム/Logstorage
  ・各種プロダクト・サポート


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