NO.55 片倉工業
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Guest Speaker
片倉工業株式会社
企画部長 柿本 勝博 氏(写真後列中央)
企画部 情報システム課長(現機械電子事業部 品質管理室長) 金築 律夫 氏(写真後列右)
企画部 広報・IR室長 三上 雅生 氏(写真後列左)
2014年6月に世界遺産として登録された、日本初の本格的な器械製糸工場である富岡製糸場を守り続けてきた片倉工業。同社は製糸業から始まったが、現在は多様な分野で事業を行っている。富岡製糸場を守り続けてきた理由と同社の経営戦略の関係、また多様な事業を抱えたグループ全体における情報システム部門の役割などについて、詳しく伺った。
「売らない、貸さない、壊さない」で富岡製糸場を維持
──貴社が群馬県富岡市に譲渡された富岡製糸場が世界遺産に登録されました。おめでとうございます。
ありがとうございます。富岡製糸場は、1872年に日本初の官営器械製糸工場として操業を開始し、1939年に当社に合併、1987年まで操業を続けてきました。2005年には全建造物を富岡市に寄贈しましたので現在は当社の所有ではありませんが、長年、維持管理してきた会社としては大変嬉しく思います。
──富岡製糸場をずっと保持し続けた理由は何でしょうか。
富岡製糸場は日本の近代化を支えた象徴であり、その原形を守り抜くことが歴史が刻まれた工場の最期を見届けた企業としての社会的責任であると、当時の経営層は考えたようです。もちろん、私達もその考えには賛成です。
自社で建造した建物は自社の利益追求のためのものなので、どのように処分しようともその影響は自社にしか及びません。しかし、富岡製糸場は日本が近代化を進めるために建設され、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場で、その歴史的価値を考えると一企業のものではなく、日本の財産です。そのような日本の財産を、当社の一存で売却したり、壊したりすることはできません。このような考えから各地に有していた工場は、富岡製糸場を除いて売却したり他の施設に転用するなどしましたが、富岡製糸場だけは「売らない、貸さない、壊さない」の3原則で、建物の保全・管理を行ってきました。
──維持するにあたってどのようなご苦労がありましたか。
管理事務所を設置して社員を3名配置しました。管理で最も注意を払ったのは、水と火です。雨漏りして建物が傷むことがないように、台風、大雨、降雪の後は重点的に建物をチェックし、外部塗装も気を遣い10年サイクルで予算を組みました。繰糸工場は約140メートルもある大きな建物のため、2年がかりで補修しました。当時から工場見学を受け入れていましたが、中には禁煙を守らない人や立ち入り禁止区域に入る人などもいて、管理事務所の社員は気が気でなかったそうです。維持費が年間で1億円を超えることもありましたが、幸いに多様な分野の事業を行っていますので、その利益でカバーすることができ、維持し続けることができました。
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すべてはカイコからスタート
──多様な事業を展開されているとのことですが、その理由は何でしょうか。
事業の多角化は当社の特長です。2011年に策定された中長期計画「カタクラ2016」で「分散(多角化経営)と融合(シナジーの強化)を追求」と明記していますが、多角化は「分散」に該当します。
「富岡製糸場が世界遺産に登録され、当社としても、長年守り続けてきた甲斐がありました」三上氏 |
当社は、製糸業で培ってきたノウハウや資産を活かせる分野で、新事業を展開してきました。生糸の生産をするために必要な研究、機材の調達はすべて自社で行っていたため、様々なノウハウや資産が蓄積されており、それらを活用して多角化を進めてきました。現在、カタクラグループには繊維事業、医薬品事業、機械関連事業、不動産事業、その他(小売・サービス事業)に分類される5つの事業がありますが、いずれも製糸業を行う上で蓄積されたノウハウや資産を活用して始めました。
繊維事業は生糸製造の伝統を受け継ぎ、医薬品事業やミツバチの販売などはカイコの品種研究から転じたものです。不動産事業やビル管理は工場跡地の有効活用という流れで行っており、また意外なところでは機械関連事業は繰糸機の製造で培った機械製造ノウハウを活かし、消防ポンプ自動車、防災機器等の製造も行っています。
儲かるからというただそれだけの理由で無秩序に事業展開するのではなく、現行の事業から派生する形で分散しているのが特長です。
図1. 多角化の起源 |
──では「融合」とはどのようなことをされているのでしょうか。
自社やその業界では当たり前のことも、他社や別業界にとっては斬新なアイデアであることがありますが、その斬新なアイデアを見つけて事業化するための試みが「融合」です。
「融合」を推進するために、各事業部門から約60名の社員を集めて新規事業開発部を立ち上げました。例えば、繊維事業内でインナー、レッグウェア、エプロンといった異なる事業を行っていますが、それらの部門で横断的にアイデアを出し合うなど新規事業に生かせるかどうかの検討をしています。また、中期経営計画を策定するにあたり、社員全員参加による提案活動を行い、新しい事業アイデアを生みだしています。
それらの取り組みの結果、介護用衣料や福祉機器の開発・製造、アグリ関連(植物工場)などの事業化を推進することが決まりました。
「古いものを切り捨てるのではなく、うまく生かして新しい事業を作り出すのが、片倉工業の経営です」柿本氏 |
──新規事業開発部が約60名とのことですが、総社員数は何名くらいなのでしょうか。
総社員数は約400名です。その約15%が新規事業開発部のメンバーということになります。15%というかなりの社員を割いていることからも、当社の新規事業に対する真剣度が読み取れるのではないでしょうか。
新規事業開発部では数名からなるチームを作り、チームごとに研究テーマを設け、アイデア出しから事業として成り立つかどうかの検討まで行っています。
古いものを大切にする文化
──多くの企業が採用する「選択と集中」ではなく、「分散と融合」を目指す理由は何でしょうか。
「選択と集中」はポジショニングを基にした発想です。ポジショニングとは、自社が市場で、どのようなポジションで競合他社と競争するかを決めることを言い、マーケットシェアなどを基に決定されます。言わば不採算部門の切り捨てを前提とした欧米的な考え方と言えると思います。この考えに立つと企業は利益を追求する存在で、まずは利益ありきということになります。
図2. 「カタクラ2016」について |
図3. 新規事業の創出 |
旧本社から移動した記念のポスト |
それに対し「分散と融合」は日本的な発想です。現在あるものをうまく組み合わせて有効活用しようとする考え方です。古いモノ、シェアが少ない事業でも、新しい形態に変えながらもその良い部分は残そうとします。当社には古いモノを大事にする文化が根付いています。そのため、古くなったから、儲からなくなったから切り捨てるという発想は出てきません。例えば、1920年から京橋旧本社ビルで使われていた郵便ポストは、旧本社ビル取り壊しまで使い続けられ、現在は本社受付に展示されています。 |
片倉家の家憲
- 一、 神仏を崇敬し、祖先を尊重するの念を失うべからざること
- 二、 忠考の道を忘るべからざること
- 三、 勤倹を旨とし、奢侈の風に化せざること
- 四、 家庭は質素に、事業を進取的たること
- 五、 事業は国家的観念を本意とし、公益と一致せしむること
- 六、 天職を全うし、自然に来たるべき報酬を受くること
- 七、 つねに摂生を怠るべからざること
- 八、 己れを薄うして人に厚うすること
- 九、 つねに人の下風に立つこと
- 十、 雇人を優遇し一家族をもってみること
情報システムの課題
──日本的な経営を進めていく中、情報システム課に求められているものは何でしょうか。
経営判断を行うための根拠となる生の数値を素早く各事業部門やグループ各社から集め、必要なデータを経営層に提出することが求められています。多角化しているため様々な情報が混在しており、必要な情報が埋没してしまう傾向にあります。また、決算や管理会計から出てくるデータはどうしても時間がかかるため、迅速な判断が求められる現代ではスピード感に欠けてしまいます。
情報システム課としては、経営判断に必要な情報をスピーディに集めるために、情報基盤の整理、情報伝達やレポート出力の自動化などを進めていく予定です。
──情報システム課は企画部に属していますが、それにはどのような意味があるのでしょうか。
当社には経理部、人事部、総務部、企画部という4つの管理部門があります。情報システム課を新設する際に、このいずれの部門に属するのが良いか社内で検討され、総務部か企画部かの判断で迷ったそうです。
総務部であれば、昔のキーパンチャのように業務代行の性格が強くなります。それに対して企画部であれば、新しい事業戦略の立案という性格が強くなります。当時の企画部長が「ITが新しい事業を作っていく」と主張し、情報システム課が企画部に設けられることになりました。したがって、先ほどもお話ししましたとおり、情報システム課には経営戦略を立案するためのデータ収集などが求められているのです。
──情報システム課は、グループ全体の情報システムの管理もされているのでしょうか。
いいえ、管理を行っているのは片倉工業のシステムのみです。しかし、連結対象となっている子会社のITガバナンスを強化することが求められており、情報システム課が情報システムを活用したセキュリティの強化、情報基盤の統一などを提案しています。
DataSpiderへの期待
──情報システム課が抱える現在の課題について教えてください。
今後、情報システム課が戦略的な視点から活動していくためには、必要な情報をスピーディに集約するだけでなく、別部門やグループ各社が利用するシステムへ情報をスムーズに伝達することも求められています。これまでは手組みで対応していましたが、ガバナンスの強化やシステムについての提案に時間を割くために、アシストからDataSpider Servista(以下、DataSpider)を導入しました。この導入により、これまでの半分以下の工数で情報の集約/整理ができるようになりました。
──DataSpiderはどのような点を評価して導入を決定されたのでしょうか。
今後、情報システム課には、全く異なる5つの事業部門の情報を集約して迅速に提供することが期待されています。情報システム課の要員数が限られる中、人手をかけずに対応できるところは極力自動化したいという課題を抱えていたところに、アシストの営業から、DataSpiderを紹介されました。
本格的に活用するのはまだこれからですが、様々なデータやアプリケーションを自由に「つなぐ」データ連携ツール、DataSpiderは、まさに当社がやりたいことを実現してくれるツールだと思いました。まず優先的にデータの自動連携を実現したいと考えているのは、受発注業務の部分、さらにはデータウェアハウス構築時のデータ連携基盤として、必要なデータを様々な業務システムから収集してくることなどを考えています。これまですべて手作業で行っていましたが、豊富なアダプタを持つDataSpiderで、この部分の業務が大幅に効率化されることを期待して、このツールを選択しました。
セキュリティ対策強化を目的にJP1を導入
──ところで、アシストとの付き合いはどのような経緯で始まったのですか。
以前、当社の本社ビルに、カタクラグループの医薬品事業部門の子会社であるトーアエイヨーの情報システム部門も入っていたことがあり、情報システム部門間で情報交換を密に行っていました。当時、トーアエイヨーは一足早くアシストからOracleなどを導入し、効率化を図っていました。
当社でも、2000年問題を契機にホストコンピュータを止めてオープン化/ダウンサイジングを図り、業務の効率化/コスト削減を進めようと考えていました。そんな時、トーアエイヨーの情報システム部門の担当者が、Oracleやデータベース関連のソフトウェアを扱っているベンダーということでアシストを紹介してくれました。それからアシストとの付き合いが始まりました。
その後、アシストからOracleを導入し、2005年に個人情報保護法が施行され情報セキュリティ対策の強化が必要になってからは、ITの資産管理を進めるためにJP1や、暗号化のために秘文を導入しました。
──JP1はどのようにお使いですか。
資産管理や情報漏えい対策だけでなく、様々な使い方をしています。ホストコンピュータをなくしたことの裏返しの問題として、PCごとにソフトウェアをそれぞれセットアップしなければならなくなりました。しかし、それを各ユーザにやらせればユーザに負担がかかります。アップデートもユーザ任せとなるためセキュリティ上の問題も生じます。そこでJP1のソフトウェア配布機能を使い、リモートから必要なソフトウェアを全PCに配布し、アップデートも行っています。
また、得意先とのデータの送受信をジョブ管理機能を使って行い、ネットワーク検疫の仕組みも利用しています。
──JP1を導入された効果はいかがですか。
管理対象PCのハードウェア使用状況やインストールされているソフトウェアの種類などの「インベントリ情報」を一元管理できるようになり、IT資産の棚卸しが効率化されました。また、企業内で使用禁止になっているソフトウェアの起動抑止や不正機器の検出や遮断も可能になり、情報漏えい対策やセキュリティが一段と強化されました。
「JP1を導入して、ユーザに負担をかけずに運用コストを大幅に下げることができました」金築氏 |
同じ会社の一部門のようなアシスト
──アシストの対応はいかがでしたか。
アシストはプライドを持って仕事をし、確実に私達が使える状態にまでしてくれます。JP1導入時には運用準備が完了するまで毎日、朝から終電までアシストの技術担当者が来社して対応してくれました。2010年にOracleのデータベースを更新しましたが、私達ではうまく設定ができなかった時に、アシストの技術担当者がオラクル社と直接やり取りをして、問題をすべて解決してくれました。解決するまでの間、技術担当者はずっと当社で作業をしてくれ、とても助かりました。
また、メインフレームを使っていた2006年に、本社ビルのある地域で停電が発生しました。東京都江戸川区と千葉県浦安市の境を流れる旧江戸川で、クレーン船が高圧線に接触したのが原因で起こった「首都圏大規模停電」です。東京、神奈川、千葉の3都県であわせて140万世帯に一時送電がストップし、当社のマシンルームにあったサーバ設備も止まりました。その停電のことをニュースで知ったアシストの担当者がOracleのデータベースに異常はないか心配して電話してきてくれました。私達と同じ目線で物事を考えてくれていると、その時も感じました。
──貴社にとってアシストとはどのような存在ですか。
アシストは外部の会社ですが、感覚的には同じ部門の一員です。情報システム課の右腕と言ってもいいと思います。なぜなら、課題解決への取り組み姿勢や真剣度は、私達と同じかそれ以上のものがあるからです。提案を受ける際に、運用で困ることはないか聞いても「大丈夫です。何かある時はサポートが対応します」という答えで済ませてしまうベンダーが多い中、アシストは「この点は苦労するでしょうから、このようにしましょう」と自社の提案の弱い点とその対応方法も教えてくれます。これは技術担当者のみならず営業担当者も同じで、営業担当者も私達の立場に立った提案をしてくれるのでとても助かります。
このように丁寧に対応してもらえるので、「私達で解決できないことがあってもアシストに相談すれば解決できる」と安心して業務に取り組んでいくことができます。いわば、アシストの存在が保険のようなものなのです。当社が抱える課題について相談すると、アシストは当社の現状にマッチした適切な解決方法を提案してくれます。懇意にしているベンダーは他にもありますが、当社が困っている、あるいは困るであろう問題を的確に指摘し、その解決法を提案してくれるのはアシストのみです。アシストと付き合い始めてから10年以上経っていますが、この姿勢は昔からずっと変わっておらず、すばらしいと思います。
──貴社の今後の展望について教えてください。
ステークホルダーの方々だけでなく社会に評価・支持され続けられるように、社会的利益を生み出すことができる事業を行っていきたいと考えています。また、片倉工業という大家族の一員である社員を大事にし、人員整理や解雇をしなくて済むようにしっかりと事業を存続させていきたいと思います。
──今後のアシストへの期待を教えてください。
情報システム課は、これからグループ全体の情報システムの統合/改善を進めていく予定ですが、私達が持っている情報は限られているため私達が考えている対応策が適切なのかどうか判断できないのが実状です。アシストにはシステムやソリューションの専門家として、私達の抱える課題を解決する提案をお願いしたいと思います。これまでのように、かゆいところに手の届く存在であり続けて欲しいですね。今後ともよろしくお願いします。
取材日時:2014年6月
片倉工業のWebサイト
現在、片倉工業様でご利用いただいている製品、サービス
・データ連携ツール / DatasSpider
・統合運用管理ツール / JP1
・リレーショナルDBMS / Oracle Database
・パフォーマンス監視ツール / Performance Insight
・情報漏えい対策ツール / 秘文
・アプリケーション仮想化 / Citrix XenApp
・マニュアル作成ツール / Dojo
・オペレーショナルBI / WebFOCUS EVO
・帳票ソリューション / List Creator
・各種プロダクト技術支援サービス
担当者の声
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「お客様の声」にご登場いただけるよう片倉工業様にお願いしたのは、富岡製糸場が世界遺産に正式登録される直前でした。各方面からの取材対応でお忙しい中、弊社からのお願いもご快諾いただきましたことを、この場を借りまして改めて御礼申し上げます。
営業担当として、複数の会社様を毎日訪問させていただいていますが、同じ企業の複数のお客様とお会いする中で、社風というか、そのお客様に共通する「雰囲気」を感じることがよくあります。片倉工業様もその一社でした。同社を担当するようになってまず感じたことは、どこかアシストの社風や雰囲気と似ているのではないかということでした。取り扱っている製品も全く異なりますし、社歴も浅い弊社と、130年以上の歴史を持つ片倉工業様とを比較するのは大変おこがましいことですが、今回取材に同席させていただき、私なりに共通点を確認できたように思います。ヒトやモノを大事にする文化が根付いていらっしゃったからこそ、富岡製糸場の世界遺産登録に繋がったというお話や、ミツバチから消防自動車まで、すべては生糸生産から派生した多角化であり、古いものを切り捨てるような多角化ではなかったという点です。
企業25年説ということをよく聞きますが、今年でやっと42年目のアシストが、片倉工業様のように100年、200年と歴史を紡ぐことができるかはまだまだわかりませんが、同社の情報システム課の皆様の真摯で真面目なご対応を見習いつつ、一歩ずつ進んで参りたいと思います。