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ソリューション研究会

肩の荷をおろして生きる~なぜ日本人は幸福になれないのか~

アシストのユーザ会、ソリューション研究会「定例会」では、日本で初めて「癒し」という言葉を用いた、「癒しブーム」の立役者であり、文化人類学者としても著名な東京工業大学大学院准教授の上田紀行氏を講師にお招きし、『「肩の荷」をおろして生きる』と題してご講演いただきました。

文化人類学者/医学博士
東京工業大学大学院准教授
(社会理工学研究科、価値システム専攻)
上田 紀行 様


3月に起きた大震災と原発事故は今なお深刻な状況にある。先ほどからソリューション研究会の発表を聞いていて、「私のやっていることも、今の時代のソリューション研究なんだ」という思いを強く持った。国難に直面して日本はソリューションを求められている。今日は「仏教ソリューション」という枠組みでお話をしたい。

私は文化人類学者として多くの国を訪れ、様々な文化を研究してきた。1986年、癒しに関する著書を出し「癒し」という言葉を広めた1人とされている。それまでは「癒す」という動詞はあっても「癒し」という名詞はなかった。当時私が言いたかったのは、癒されない構造になってしまった社会を作り直そうという提言だったが、それがいつしか、疲れた自分を入浴剤や水晶玉で「癒された」と感じるような、小さな言葉になってしまった。日本人は全体の構造を変えるのは不得意な民族だが今求められているのは大きな社会の見直しである。

仏教というソリューション


お釈迦様が最初に悟ったのは縁起(えんぎ)という、すべてのものは関係性の中にあるということと、四諦(したい)であった。四諦は苦集滅道(くじゅうめつどう)という真理に至る4つの段階で、仏教では生きていることは「苦」であり「集」とはその苦しみの原因である。「滅」は原因があるならそれをなくせばいい、そして最後の「道」は、実際の行動で具体的に対処をする。四諦は問題の原因認識、それを滅し、行動によって正すというソリューションである。これに基づき日本社会の苦集滅道を考えてみたい。

「苦」日本の現状


以前、東工大の学生200人に人間は使い捨てだと思うかと尋ねたら、そう思うと答えた。かつて小泉首相が小泉チルドレンに「世間では使い捨てという言葉が流行っているが、お前たち議員も所詮使い捨てなんだ」と言った。世間で流行っていると言ったが、小泉政権の政策でその言葉が流行ったのだから、私は頭に来ると同時に悲しかった。自分が使い捨てだと思えば、自尊心を失い人も信頼できなくなる。自己信頼を欠く人は自分を傷つけるか、他者を傷つける。苦しんでも誰も支えてくれないという、安心や信頼を失った文明は長続きしない。日本では過去13~14年の間に毎年3万人が自殺している。これが現状なのだ。

「集」その原因


日本の教育は交換できる優秀な人材を作ろうとしてきた。経済が好調な時はそれでも皆が豊かになれたが、経済が停滞してから欧米式の評価システムが導入された。皆で頑張ろうという向きにベスト・チューニングされてきた日本にそのような評価制度を導入しても、経済や人間が活性化するはずはなかったのだ。

「滅」持つべきイメージとは


日本に必要なのはセーフティ・ネットであり、見えるものとしては年金制度で、これで相当不安は減る。同時に見えないネットも重要で、それが仏教だ。その例として教え子の話をする。彼女は20歳位の時にとても悩んで、ある日夜中に家出をした。街中を歩き、お寺の前にきた。扉は鍵がかかっており、インターフォンがあったが押せなかったと言う。「何時だと思ってるんだ、檀家か?檀家でもないのにハタチにもなって人の迷惑考えろ」と言う住職の声が頭に浮かんだからだと言う。歩き続けると教会があり、鍵が開いていたので中に入って薄暗い礼拝堂で座ってキリストを見ていたら旨のつかえがおりて「ああ、もう今日は家に帰ろう」と思ったと言う。彼女はそれから症状が改善し、その後家出うぃすることはなかったと言う。

ここでのポイントは2つある。1つはお寺の悪いイメージ、もう1つは、誰と話をしたわけでもなく不安が解消していったことだ。彼女いわく、夜中にも開いているところがあり、ここにくれば誰か助けてくれるか、少なくとも話は聞いてくれるんだろう、と思ったと。彼女の肩にあった不安という荷は、限界になったらここに来れば良いというところが1つできたために軽くなった。支えが彼女を自由にしたのである。

今の日本でお寺は法事やお布施といった、自分たちを拘束するものとなってしまったが、もし日本にある7万6千からのお寺の前を通る時、ここには人の苦しみを救いたいと苦集滅道に生きている人がいる、ここに駆け込めばいいんだと人々が思えるようになったら相当な支えになるだろう。

震災の復興については私は徹底的に被災者を救うということを人びとに見せることだと思う。肉親、仕事、家を失った人を見捨てないということを子供たちに見せる効果は計り知れない。失意のどん底にある人を社会が支えることは、被災された人だけでなく後続世代の人たちへの救いとなる。支えるイメージを再建するのだ、また被災者を救う過程で、今の社会的弱者にしわ寄せがいかないことを徹底する。救済に税金を使うことで、さらに自殺者が増えるような社会にしてはならない。これができれば、裁くことばかりで負け組は自己責任、というような社会を作り変えていけると信じている。

「道」肩の荷をおろして生きる


未来の世代のために良い社会を作ることはわくわくすることで、苦しいことではないはずだ。我々は何をすべきか、ダライラマの話を引用する。スタンフォード大学にダライラマが来て講演をした。彼の話はユーモアにあふれて元気がある。そこで1人の学生が質問した。「50年前に中国に攻められてチベットは植民地となり、あなたは祖国を離れ、120万人ものチベット人が中国政府に殺されたとも言われ、絶望の淵にあっても良いはずなのに、アメリカに来て私たちを元気づけてくれてジョークも言っている。その明るく大きなエネルギーの源泉は何なのか」。

ダライラマはこう答えた。「仏教というのは縁起が中心で、すべてのものは関係性の中にあり、またすべての苦しみには原因がある。50年前チベットは世界を見ていなかった。坊さんは民衆に通じる仏教の話だけをしていたし、政治家にも腐敗があった。中国に侵略され、世界に助けを求めたが、誰も助けてくれなかった。だからそこから必死になって仏教が世界にどういう影響力を持ち得るかを研究した。それを世界に発信したら89年にノーベル平和賞をいただいた。50年前はチベットの慢心があの現実をもたらした。良き種をまけば必ず花が咲くということをきっちりと信じることだ。良き種をまけば、自分が生きているうちはわからないかもしれないが、それがあなたの中で、また社会でも芽を出す。絶望的な状況にあっても、少なくとも私は今日、良き種をまき、こうしてあなたと今日会ったことに対しては100%ハッピーだから、明るく幸せそうに見えるのだ」と。

これに私は泣きそうになった。どんな絶望的状況の中でも種をまく。明日評価が得られるとは限らないし、生きている間もないかもしれない。でもそれは誰かのためになるし、社会を良くしていると確信しているから喜んでする。この世界観が日本人に必要なのではないかと思う。

後続世代のために良き種をまき、自分でその成果を刈り取ろうと思ってはいけない。人生の後半は次の世代のために使えと数々の宗教が説いている。もうここまで生きたのだから、あとは次の世代あるいは苦しんでいる人のために行動する。これが成熟した個の姿ではないだろうか。いつまでも自分の取り分や評価にこだわるのは子供の発想だ。それがあるから肩の荷を背負わされている。肩の荷をおろす秘訣は、実は自分が背負いたい荷を負うことなのだ。誰かに負わされたものは嫌だが、自分から負った荷は夢があるし、使命があると思えば重くはない。自分が負いたい肩の荷は何だろう。それを各自が自分で負うことが負わされていた肩の荷をおろすということなのだと思う。

我々は1人ひとりがステージの上の演技者で、孫子の代までその行為を見ている。大きな世界観の中でどんな行動をとるべきなのかを考えた時、私は「肩の荷をおろして生きる」、これが苦集滅道の「道」の部分だと思う。私自身、生身の悩み多き人間」だが、以上を私からのソリューションとしてお伝えする。皆様の人生、または日本のソリューションに活かしていただければ幸いである。

上田 紀行(うえだ のりゆき)様 プロフィール

1958年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。2005年5月~2006年2月スタンフォード大学、仏教学研究所客員研究員。毎日新聞論壇時評担当。読売新聞書評委員。「朝まで生テレビ」「NHKスペシャル」等で積極的に発言するとともに、NHK教育「Q~わたしの思考探求~」の司会者を務める。学生による授業評価が全学1,200人の教員中第1位となり、「東工大教育賞・最優秀賞」(ベスト・ティーチャー・アワード)を学長より授与された。2006年には、ダライ・ラマ14世と、21世紀社会の展望をめぐる対談を行う。著書は『生きる意味』(岩波新書)、『かけがえのない人間』(講談社現代新書)他。『生きる意味』は、2006年に40大学以上の入試問題に取り上げられ、出題率第1位の著作となる。6月17日に発売された新著『慈悲の怒り-震災後を生きる心のマネジメント』(朝日新聞出版)では、真の震災復興と日本社会の再構築への道筋を提言している。

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