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ソリューション研究会

造り酒屋再建に賭けた夢
~小布施発、セーラ・マリ・カミングスの挑戦~

アシストは去る5月30日、7月13日~14日に、ソリューション研究会 定例会を東京、名古屋、大阪で開催し、桝一市村酒造場、取締役 セーラ・マリ・カミングス様を講師にお招きしご講演を賜りました。本稿はその抄録です。

講師:株式会社桝一市村酒造場 取締役 セーラ・マリ・カミングス 様


今日が一番若い日


本日は「造り酒屋再建に賭けた夢」というテーマでお話ししたい。実際、まだ再建途中ではあるがご参考になればと願っている。とにかく、やると決めたら何事も最後まで投げてはいけない。大胆なことであればあるほど、皆は良いとは言わず、安全で無難な道を選ぼうとするが、今の時代は無難な道ほど危険な道はない。守ろうとすると結局守れないことになる。中途半端に頑張るくらいなら、やめたほうがいい。何でもやる以上は「命をかけて待ったなし、これ以上のところはできないというところまでやるぞ!」という覚悟が必要だ。

小布施との出会い


私は1年間交換留学生として来日し、いったんはアメリカに戻ったが、大好きなスポーツを通じて、大都市でなく昔の日本が色濃く残っている地方都市で、日本語を生かした仕事に就きたいという思いがあった。1992年に縁あって長野の民間企業に勤めるかたわら、長野冬季五輪組織委員会(NAOC)のボランティアとして働くことになった。通訳、翻訳などのお手伝いをするのだが、他人の言葉をそのまま伝える仕事は、あまり得意な分野ではなかった。そんな頃、日本の生活や知恵、文化を残している小布施に出会った。そして「小布施堂」の「経営企画室」の契約社員を経て、現在に至っている。当時、採用してくださった会社に対して、私は少しでもお役に立ちたい、貢献したい、という感謝の気持ちで一杯だった。そこで入社当初、まずは人が避けたがる掃除をするよう心がけた。しかし、単に「綺麗になればいい」と思ってやっていた掃除も、雑巾のたたみ方や持ち方ひとつで、道具として生きてくることを知り、日本古来の整理整頓の作法から、お客様を気持ちよく迎えるという‘お客様へのおもてなしの心’を学んだ。

町興しのきっかけに


スポーツ競技のボランティアとして英国選手団をお世話することになった時、葛飾北斎の「富嶽三十六景」に登場する蛇の目傘から五輪に因んで和傘の製作を思いついた。和傘作りは数人の職人集団でないとできないので、何人もの傘職人に声をかけ、「昔はできても今は無理」と何度も断られたが、諦めず粘り強くお願いして、「じゃあ作ってみよう」ということになった。たとえ、1人だけやる気があっても、5人を説得して皆がやる気にならなければ、実現はできない。傘のかっぱ部分を作る職人、その骨組みに漆を塗る職人、糸を付ける職人、紙を貼る職人...と、皆にやる気になってもらって初めて実現できたことでもある。こうして困難なことを実現できた時の達成感は、さらなる挑戦への意欲につながるものだ。

ダウンの時こそ、チャンスに生かす


当社の先代の社長は、北斎の作品が国内外に売買されることになった時に、せっかく代々大事にしてきた、自分たちの町の独特な文化が消えてしまったら、町の1つの柱が欠けてしまうと危惧した。そこで小布施で北斎の研究活動もでき、作品をきちんと保存、保管できる北斎館を作ることをライフワーク(夢)とした。しかし当時は、それに賛成する人はいなかったという。日本の伝統技能や意味のあることなどが、あまり顧みられずに消えてしまうことに我慢ならない。こうした日本の良い面が今でも生き残っている小さな日本の故郷が、国際競争の激しい津波の中で溺れてほしくないと願い、今元気があるうちに先に動こう、何とかしようと、危機感を持って私たちは取り組んだ。歴史的に見ても、こうした悪い時代こそ、踏ん張って頑張るべき。良い時は誰でもそこそこできるが、ダウンの時こそ、それをチャンスに変えられる。単に残すとか守るというだけでなく、今の時代に見合った新しい可能性を見出すことによって、新たな広がりができると思う。我々の世代が、次の世代に何を伝えていくか考えることが必要だと思っている。

桝一の再構築


大都市に負けない職場が地元にあれば、1人でも多くの若者が頑張れる。桝一市村酒造場(以下、桝一)の再構築はそうした1つの過疎対策となる。さざ波でも振動を与えることで、どんどん地域が元気になる。

当社は再構築にあたり、昔ながらの伝統の良い点、悪い点をリストアップするとともに、どういう点を変えたら良いのかを挙げるなど、見えないものをできるだけ見える形に変えてみることから始め、理想的な形はどうすればできるのかを考えた。またできない理由が100あっても、できる道が1つでもあれば良いので、No!をGo!に変えるため、まずはできない理由を洗い出した。できる道はその裏返しになるからである。

1996年、桝一の再構築に際し、まずロー・コスト経営のレストラン計画として、レトルト食品の「プランA」が出された。桝一の再構築の第一歩を踏み出すため、出された答えがレトルト食品とは、私は非常にショックだった。高い材料を使い、古来からの苦労を維持しながら、職人の手で機械化せずに作る日本酒にこだわっているところで、レトルト食品など、絶対に合わないと、私は猛反対した。その時、社長は非常に怒ったが、真実を突かれると、人は怒るもの。本当のことを言える会社であることが大事で、皆がイエスマンになってしまったり、レジスタンスになるのもまた動けなくなるから駄目である。

そこで私は、代替案「プランB」を提案した。酒蔵の蔵の一部を「蔵部」と名付けて、蔵の存在そのものを大事にするとともに、北斎が小布施に逗留した江戸時代にもあった文化サロンの「(英語の)CLUB」の意味合いも込め、人と熱く語り合える、楽しく食事できる場所を提供すること。これこそ造り酒屋がこれから生き残る1つの役割ではないだろうか。代々伝わってきた、信州のレシピなども家庭で作るのはなかなか難しい現実があるので、そうした担い手になれるのが造り酒屋だと思う。スロー・フードが流行りであるが、蔵部では、日本古来の熟成文化、発酵文化、あるいは煮込み料理などを供する。また旬の素材そのものを生かすことこそ、単純だが一番飽きも来なくて、人々に最大の喜びをもたらすものだと思う。そしてその蔵に合った酒を提案しようということから、通いびん制度を復活し、リピーターと資源を大切にしようと、桝一の屋号を英語に置き換えた「スクエア・ワン」と名づけた酒を造ることになった。当初その命名に「外国人がまたカタカナで日本酒の世界を置き換えようとしている、けしからん」と怒りの声があがったが、その後、蔵から大正時代にも斬新なローマ字を使った酒を見つけた。もしかしたら日本酒の世界も、昔の方が斬新だったかもしれない。今頑固になっているのも、守りに入っている証拠かもしれない。それならば、もう一度その壁を取っ払って、楽しくしよう。こうしてレストランを作ることが桝一の再構築の取り組みの第一歩となった。10年前は先行きが見えないくらい暗い状況だったが、最近ようやく良い状況になりつつある。明るさ、楽しみ、喜びがあれば無理なく続く。苦しいことはいっときは我慢できても、長続きはしない。さらに今、桝二プロジェクトとして、365日24時間、おもてなしができる酒蔵を目指し、桝一のゲスト・ハウス「桝一客殿」を作って、冬は杜氏、春夏秋はゲストをお招きできる宿泊施設を建設中である。

日本の武器、それは伝統文化


古来からの日本酒の復活というのは、実は、日本酒の似合う生活を取り戻すということでもある。蔵の中で、あるべき姿を考えてみた時に、桶が日本酒の世界から消えているという事実を知った。2,000軒の酒蔵のうち、1軒くらいは木桶を使っているところがあると思っていたが、酒造組合に問い合わせたところ、全国どこにもないという。なぜ消えてしまったのか。50年くらい前まであった日本の姿を今取り戻せば、きっと今に生きるヒントがそこにあるだろうと強く思った。

日本の武器は、日本固有の生活文化、食文化、そして職人の文化にある。それが強みである。桶は1つの日本の象徴的なものでもある。「富嶽三十六景」に北斎がわざわざ残した景色を我々が消してしまっていいのか、と考えると、小布施こそ生かす義務があると思っている。若干高くても、本物ならば世界中の方々が日本酒を求めてくる。願わくば日本に合った姿があってほしい。だったら、他の蔵元にも木桶仕込を復活してみようとお声がけをして、今ようやく約30社が試みている。同じ桶でも、同じ酒にはなりえない。その蔵ならではの酒ができる。

今こそ木桶をということで、「木桶仕込保存会」を作り、4月に会を開催した折には、800名以上の方が来てくださった。やはり日本を大事にしたいという思いの人はまだまだたくさんいる。ただ、きっかけがあるかないか、ということの違いである。そこの繋ぎ役が必要なのだと思う。今年は桶仕込みをNPOにして、味噌、しょうゆ、漬物、はちみつ、フナ寿司など、日本の食生活を生かした、和文化の素晴らしさを復活したいと思っている。

気付いた時がその時!


現在、50年ぶりにいぶし瓦の復活を目指している。ついこの間までは、各地に色々な固有の楽しい生活文化があったのに、今一律、高層ビルや洋風の建物と、どこもかしこも同じ風景になりつつある。

今やわずか5人程度で細々と継承されているいぶし瓦であるが、それもぎりぎりの線である。このままでは小布施らしい町並みを失ってしまう。1400年前に日本に伝わってきたいぶし瓦をなくしていいのか、と考えた時に、非常にもったいないことだと思った。桝一の再構築を始めた頃、古い瓦が足りなくなった時、たまたま家を改築するという親切なお宅からの申し出のおかげで、何とか当社の「蔵部」の瓦が間に合ったが、10年先、20年先はもっと大変になるだろう。伝統文化を後世に残す仕事は今が最後のチャンスかもしれない。5年先には消えているかもしれない。だから、今のうちにそれを見込して考えておかないと、今があっても先がなくなってしまう恐れがある。

しかし、何事も遅すぎるということはない。気付いた時がその時なのだ。今、若者3人が瓦職人の所で2年間修行して、ようやく今秋、何とか瓦ができる段階に来た。人生も仕事もマラソンである。終わりがない。今のまま放っておけば、いつか消えてなくなってしまう大切な伝統を復活させるだけではなく、ずっと継続させたいと思っている。今無理なことでも、どうすればできるようになるかを常に考えたい。

小布施に新しい波を


2001年8月8日から、私がホストとなり、毎月1回ゲストを招いて、「小布施ッション」を開催している。ゲストの講話の後、パーティ会場の「蔵部」で、手作りの旬のお料理と美味しいお酒を楽しむ、異文化交流の文化サロンである。一方的な講演会ではなく、参加されるお客様ご自身が主役であることを念頭に置いている。「小布施ッション」はこの夏、60回目を迎えた。さらに、多くの方々にお越しいただきたいと思って活動を続けている。

何事も、マイナスをプラスとして考えるなら楽しくなる。将来に価値を加える、あるいはプラスになるように努力することが大事。日本人はもっと社会貢献活動的な気持ちを持つべきだ。そうすれば、ますます日本はおもしろくなると思う。

江戸時代に北斎が小布施に来た時に、祭り屋台の天井に波の絵を描いたように、人々の楽しい思い出作りの一助として、本年7月17日(海の日)に、海のない小布施に波を作ろうというテーマのもと、「小布施見にマラソン」を企画した。ご縁があって走ってくださる方々のために、沿道では生演奏を楽しんでいただきながら、またちょうど桃の季節なので、腿の痛みは桃で癒す(笑)、ということで、桃を振舞うなど、色々な趣向を凝らし、出会い、喜びを分かち合おうという企画である。私は今回そのリーダーとなったが、日本人は、リーダーになりたがらない。リーダーになるということはそのリスクや責任を背負うことである。もう少しそういう気持ちを皆が持って本気になって走り出せば、日本はもっともっと楽しくなると思う。また人が動くから経済が動く。人が動かなければ、経済も動かないから、やはり動く喜びをもう一度発見して、再び日本が元気を取り戻せば、効果的な地域振興策となる。色々な壁にぶつかっても、間を置くことが大事だと思う。常に前進、前進、というのではなく、たまには一歩引いて、一息つく、間を持つことも必要だ。

これらの文化活動には当然ながら、資金が必要になる。日本の企業は、天気の良い時にはやるが、天気が悪くなった時は、やめてしまう傾向がある。私は晴れた時、皆がやっている時はやらなくても、ピンチの時こそ必要なことはやるべきだと思っている。私は必要なことは、自分が投資してでもやると決めているので、数年前に当社の「文化事業部」を「株式会社文化事業部」にして、本日のこうした講演活動での講演料を「小布施ッション」、「小布施見にマラソン」、環境を守る「1530運動」等の資金に充当させている。やはり本気でやりたければ、どうにかして道は切り開く、ただその負担は自分が背負ってでもやる、という覚悟が必要である。

最後に


当社は2年ほど前から、デジタル化を決定し、まずは領収書をデジタル化して、全部打ち込むことにした。300石くらいしか作っていない当社のような小さな蔵では、直売プラス、インターネットで生きる道が広がる。古いもので我慢するのではなく、新しい技術を加えることで、快適で環境に優しく、しかも経済的に成り立つ。だからアシストさんのような企業の力を借りながら、これからの新しい未来につないでいきたいと思っている。

かつて、小布施のおばあさんが編んだよしずは、細いものと太いもの、弱いものと強いものを組み合わせて編まれていたが、それは非常に丈夫であった。会社も同じである。強い人間もいれば弱い人間もいる。色々な人が力を合わせて頑張ることで、回転していける。ドリーム・チームを作ること、ベストなチームを作ることはなかなか難しい。しかし、今のメンバーが最高だと思うこと、そこから始めれば良い。

そして、いっとき大変な思いはしても、それを飲み込んで、それでもやるぞ!と決めてかかれば、これから日本は十分にやっていける、また十分に世界に誇れるものがあると確信している。これからもますます頑張っていきたいと思うので、是非、また再び小布施で皆様とお会いできればと心から願っている。

小布施町界隈

江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎と深い縁のある小布施の町。そんな小布施の町が持つ歴史、風土、文化、80年代の修景事業が作り上げた小布施堂界隈の美しさ、そこに住む人々が長い年月をかけて守ってきた土地の伝統が、多くの人々の心を捉え、注目を集めている。

▲ゆう然楼周辺町並修景事業
(特産品の栗の木のブロックを敷きつめた「栗の小径」)

セーラ・マリ・カミングス 様 プロフィール

株式会社桝一市村酒造場
取締役 セーラ・マリ・カミングス 様

ペンシルベニア州立大学在学中、1991年に日本に留学。1993年に長野オリンピックに憧れ、再来日され、長野の企業に就職。翌年小布施堂に入社。1996年、利酒師認定。1998年小布施堂、桝一市村酒造場の取締役に就任。以来、小布施町を中心に国際北斎会議など、様々な文化旋風を引き起こした。
http://www.masuichi.com/

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