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アシストの『トライ&トライ』

アシスト・ストーリー アシストの『トライ&トライ』

1972年、日本市場でコンピュータ用パッケージ・ソフトウェアの販売とサポートというビジネスを立ち上げて以来、アシストは様々なパッケージ・ソフトウェアを取り扱いながら、新しいビジネス領域での試みも行ってきた。現在は手がけていないが、過去にアシストが試みたビジネスは様々ある。

業務アプリケーション・パッケージは取り扱わない

現在、アシストの製品サービスのカバー範囲は、企業のIT基盤の中心となる3分野「情報活用」、「運用管理」、「データベース」に限定しているが、そこに至るまでには様々な試行錯誤があった。その1つが、米マネジメント・サイエンス・アメリカ(以下、MSA)社の財務会計パッケージの取り扱いを経て行き着いた結論、「業務アプリケーション・パッケージは取り扱わない」というポリシーだ。

EASYTRIEVE PLUS

簡易言語EASYTRIEVEにより業績が上向いていた1981年、MSA社のアプリケーション・ソフトウェアを取り扱い始めた。その当時、アシストは、自社開発一辺倒である日本企業に対し、「BUY、HELP、MAKE」の標語を掲げてパッケージ・ソフトウェアの販売を行うというビジネスを推進していた。すなわち自社に最適なパッケージ・ソフトウェアがあれば、それを購入してそのまま使うこと(BUY)。次に、最適なものがなければ、エンドユーザのコンピュータ利用を支援するツールを用いること(HELP)。それも不可能であれば情報システム部の開発を効率化するツールを使った上で自社開発する(MAKE)、という考え方である。

MSA社の製品は、言うまでもなく「BUY」に当たる。MSA/GL(一般会計システム)は1982年から、MSA/FA(固定資産管理システム)、MSA/AP(買掛金管理システム)、MSA/MRP II(生産管理システム)は1986年から販売を開始した。MSA社の製品を取り扱うにあたり、当然のことながら、アシストでは、大手会計事務所から会計や財務の専門家を雇い、また生産管理分野についても、その道のプロをメンバーに加えた。

会計システムは、アシストがビジネスモデルの条件にしていた「どの企業でも共通して使われる」システムではあったが、業務ソフトウェアであって汎用ソフトウェアではなかった。また米国製のアプリケーション・ソフトウェアということもあり、日本で普及させていくにはかなりの苦労があった。それでも、一般会計ソフトのMSA/GLは大手企業に順次導入され、1988年には通算100ユーザに達成した。

一方、生産管理システムについては、顧客対象が生産管理を行っている企業に限定されること、さらには日米の違いが大きく影響したことから、MSA/MRP IIは日本ではそれほど普及しなかった。

1990年、企業合併の波によりMSA社はMcCormack & Dodge(M&D) と合併してD&B Software (Dun & Bradstreet Software Services)となり、日本では同年12月にアシストと合弁で株式会社ダン&ブラッドストリート・ソフトウェア(D&Bソフトウェア)が設立された。しかし、1992年末に合弁契約を解消して以来アシストは、業務アプリケーション・パッケージの取り扱いは行っていない。

アシスト創業のきっかけともなった「汎用性」という点で、業務アプリケーション・パッケージは適さないと判断したからだ。


ビジネス領域は、国内優先

アシストがパッケージ・ソフトウェアの提供というビジネスを日本で開始できたのは、1972年設立当時、日米間に5年以上のソフトウェア格差が存在していたことが大きい。

米大手システム開発会社から市場調査のために日本に派遣されたトッテンは、人件費が圧倒的に高く、また日本の商習慣を理解していない米企業が日本企業用のソフトウェアを開発することはナンセンスだと考えた。また、IBMの独禁法訴訟がきっかけとなったソフトウェアのアンバンドル化も追い風となり、「汎用ソフト」販売こそが目指すべき道と考え、それを自身で証明するためにアシストを設立したのである。

いずれ、米国製ソフトウェアを日本に紹介するだけではなく、優れた日本のソフトウェアをアシストが海外に提供する時期が来るだろうと考えた。1984年、創立15周年にあたる1987年に向けた3年計画の一環として、国産ソフトウェアを海外市場で販売するための輸出部を新設した。また同年、米ロサンゼルスに、販売窓口として、当時の会長、水野武の名前から社名を取った子会社、ウォーターフィールド・カンパニーを資本金1万ドルで設立した。さらに1986年には、オーストラリアにも現地法人「ウォーターフィールド」を新設した。

しかし、ソフトウェアの輸出は想定以上に困難であり、予定したような事業展開にはならなかったため、目標期日としていた1987年、ウォーターフィールドならびに輸出事業を終了させた。

アシスト単独の海外進出は断念したものの、1988年5月、韓国の大手レコード会社である地球(ジグ)社と業務提携し、韓国にジグアシスト社を設立した。新会社設立にあたり、アシストは韓国で採用した従業員10人を日本で1年間教育し、彼らを中心にソフト販売、保守業務を開始した。新会社は、アシストが販売権を持つEASYTRIEVE PLUS、PANVALET、PANEXEC、FOCUSを日本の市場価格の6割程度で提供し、将来的には、輸出部のビジネスである日本製ソフトウェアの韓国への輸出も視野に入れていた。しかし、このビジネスもまた伸びることなく2000年に契約を解消した。

このように1984年から1990年代まで日本製ソフトウェアの輸出や、販売網の海外への拡大を視野に入れた活動を行ってきたが、結果的にはこれが改めて日本国内に焦点を絞ることを決心させる要因となった。アシストの製品やサポートを信頼してくださっている日本のお客様へ、継続的で質の高いサービスを提供することが何よりも優先するべき事項となった。

しかし近年、この状況にも変化が起き始めている。日本企業が様々な地域への進出を加速し、アシストのお客様も例外ではないからだ。海外進出における重要な課題の1つが国際的な業務システムの構築、運用、サポートであり、アシストもお客様から日本と同等の技術支援を海外拠点でも提供して欲しいというご要望をいただくようになった。ソフトウェアの「パッケージ・インテグレーター」として、お客様の最高のためにアシストができること、すべきこととして、国内でのビジネスを優先することは変わらないが、お客様のニーズに応えるためには、海外拠点を作るということも今後はあるかもしれない。


スクラッチ開発は行わない

アシストのビジネスは、パッケージ・ソフトウェアの提供が中心である。取り扱っている「パッケージ・ソフトウェア」に付随した開発や、BIツール関連の開発は今後も手がけていくが、基本は他社が作ったソフトウェア製品を販売することにある。

ところが過去には、事業領域を開発まで広める可能性を考え、パッケージとスクラッチ開発を組み合わせて業務パッケージを作っていたこともある。その1つは、1998年に開始した、中小企業向けの販売管理システム構築事業であった。この事業では開発案件を多数請け負ったものの、その継続性、採算性の面から2000年には事業は中止となった。

アシストは、懇意にしていただいているお客様から、開発も請け負って欲しいというご要望を今でもいただくことがある。お客様満足度調査などでも、「パッケージ提供だけではなく、開発もやってもらえれば助かる」というコメントをいただいている。しかし、事業を中止させた中小企業向け販売管理システムや、その他の開発案件での経験から、開発部分は開発パートナー樣と一緒に当たらせていただいたほうがお客様のお役に立てるのではないかと考えている。アシストの強みは、ソフトウェア製品の販売であり、そのための複雑な教育や導入サポート、予測していなかった問題発生時の迅速な回答にあると考えている。これまでも、これからも、パッケージ・ソフトウェアを基軸としたビジネスモデルで、お客様の成功と発展に寄与していくことを目指している。



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