最高を目指して

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Trajectory & will

挑戦の軌跡、変革への意志

2022年に創立50周年を迎えたアシスト。テクノロジーが激しく変化する中、アシストは揺るぎない歩みを重ねてきました。 その核となったもの、原動力となったものは何だったのでしょうか。そしてアシストがこの先に目指すのは、どんな未来なのでしょうか。 創業者のビル・トッテン代表取締役会長と、その後を引き継いで経営に当たる大塚辰男代表取締役社長が対談しました。

Profile

  • 代表取締役社長

    大塚 辰男Tatsuo Otsuka

    1983年、株式会社アシスト入社
    グループ会社である株式会社パンソフィックの東日本営業部 部長、開発プロダクト営業本部 事業部長、そして株式会社アシストにてシステム管理事業部 事業部長、東日本営業本部 本部長、ネットワーク・ソフトウェア事業部 事業部長、西日本支社長、営業統括などを経て2012年に代表取締役社長に就任

  • 代表取締役会長

    ビル・トッテンBill Totten

    1972年、株式会社アシスト設立、代表取締役就任
    2006年、日本に帰化し日本国籍取得
    2012年、代表取締役会長に就任

Founded

原点と成長

アシストの歩みを振り返って、今、どのような想いですか。

一言で言えば、とても運が良かったと思います。アシストが創業した当時、日本にはまだ汎用パッケージソフトの文化がなく、それどころか、お金を出してソフトウェアを買うという発想すらありませんでした。しかしお客様は、実は高度情報化社会に向けて社会が大きく変わろうとしていることを敏感にキャッチしていたのです。私が社会の変化を感じ取ったのではありません。変化を感じているお客様の“声”に耳を傾けたのです。

アシストの歴史を振り返ると、社会が大きく変化するタイミングで私たちも歩調を合わせるようにステップアップしてきました。トッテンが話した「お客様の声に耳を傾けた」というのは、その最初にして最も象徴的なエピソードかと思います。

私が最初に来日したのは1969年でした。1ドルが360円だった頃です。日本でのソフトウェア市場の可能性を調査した私は、汎用パッケージソフトウェアでビジネスを展開すべきだと会社に報告しました。当時はメールもケータイもありませんから、テレックスと国際電話での報告でした。しかし、上司の判断は「No」。とりつく島もなく、それならばと私は会社を辞めて自ら日本で起業することを決めたのです。それがアシストでした。

当時の話はトッテンから折に触れて聞いていますが、今では想像もつかないほど大変だったと思います。無謀と呼んでいいような決断だったのではないでしょうか。

会社の設立も、両親や先輩にお金を借りてようやくこぎ着けました。日本の市場と自分自身の可能性を信じて、無我夢中で取り組みました。

私が入社したのは創立の11年後、1983年のことでした。汎用パッケージソフトというユニークな事業を展開する、ユニークな社長のいる、ユニークな文化の会社ということに惹かれました。他社とは明らかに一線を画した会社でしたね。トッテンは新人の私にとって文字通り雲の上の人で、オーラに包まれているように感じました。今も懐かしく思い出します。

What is important

変わらないもの、変わるもの

大塚さんの入社と時を前後して『哲学と信念』が生まれました。これは大きなターニングポイントでした。

6名でスタートしたアシストは1980年代に急成長しました。売上げも社員も一気に増えたのです。そして社員が100名を超えた頃から、全員が同じ価値観を共有する難しさを感じるようになり、会社の道徳や理念を言語化する必要性を感じるようになりました。そこで1983年に書いたのが、『哲学と信念』の前身である『Second Decade』です。まずは私がドラフトを執筆し、役員の意見を反映した後、全社員の議論を踏まえて最終版を作りました。執筆したのは私でも、内容には全社員の意見が反映されています。

私が入社動機で申し上げた「ユニークな文化」というのは、『哲学と信念』で言語化されることになった理念のことです。

根底にあるのは、人を大切にするということです。会社から大切にされていると感じた社員は自ずとお客様を大切にし、大切にされたと感じたお客様は必然的にアシストから商品を買ってくださいます。こうしたビジネスの本質を示すのが、アシスト社員の胸元にある「人バッジ」(社章)です。

『哲学と信念』は完成以来、時代の変化を受けて幾度か改訂されてきました。しかしトッテンが今話した「人を大切にする」という軸は決してブレませんでした。

社員同士が互いに助け合い、お客様やパートナーを大切にするといった姿勢が変わらなければ、たとえビジネスが変わってもアシストは永続できると信じています。

先ほど社会が変化するタイミングでアシストも成長してきたと申し上げました。例えば、メインフレームからオープン化のときもそうですし、現在のクラウド化も同様です。ではなぜ変化のときに成長できるのかというと、まさにお客様の声に耳を傾け、お客様の視点で考えているからなんです。変化を一番敏感に察しているのはお客様ですから。そしてアシストのその姿勢を可能にしているのも、お客様を大切にするという普遍の考えがあるからです。

ターニングポイントということで私が考える最大の転機は、辰男に経営をバトンタッチしたことでした。私は30年間社長を務めましたが、辰男は10年間でそれをはるかにしのぐ成果を上げてくれました。同時に『哲学と信念』を全社員が理解し、共有してくれたことも、今日の成長につながっています。皆さんに改めて感謝いたします。

対談している画像

future

展望と決意

今後のアシストについてお聞かせください。

創立50周年を機に「変化、ぞくぞく!」というスローガンを掲げました。ここに込めたのは組織の規模がいかに大きくなっても、全員の志を一つにして、自ら変化を創り出していきたいという想いです。具体的には新しい事業として開発をやりたいと考えています。アシストではお客様の課題解決に向けてベンダーの違いにとらわれずに最適なプロダクトを提供してきましたが、それらをインテグレートするシステムを自ら開発しようということです。それによってより深くお客様に寄り添い、貢献できると信じています。

一方で、人を大切にする文化は不変です。会社は社員のものであって株主のものではない、との考えから上場することは考えていませんし、規模の拡大も目指しません。追求するのはあくまで、社員の幸せです。誰もが「アシストに入社して幸せだ」と感じてくれる、そんな会社を目指したいと考えています。利益もしっかりと社員に還元していきたいですね。

同感です。そのために変化を楽しみながら自らチャレンジできる方を、新しい仲間としてお迎えしたいと思います。「地球は子孫から借りているもの」という言葉がありますが、私は「会社は未来の社員から借りているもの」と考えています。そうした視点で、未来の社員も含めて誰もが幸せを感じられる会社にしていきます。

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