アシスト、
その歩みと想い
Scroll
創立から50年以上の時を経たアシストは、一貫してパッケージソフトウェアの販売にこだわってきました。日本のコンピュータ市場と共に歩んだアシストの軌跡をご紹介します。
1971年

- 創成期
- アシストの成り立ち
株式会社アシストの生みの親が、米国人ビル・トッテンです。彼は米国製ソフトウェア「ASI-ST」で日本市場を開拓しようと来日。システム開発株式会社と協力して販売活動を開始し、1972年に株式会社アシストを設立しました。それは、日本にパッケージソフトウェアという文化を根付かせるための第一歩でもありました。
1970年代前半

- 成長期前編
- パッケージソフトウェア
市場の興隆
創立直後、業績は思うように伸びませんでした。転機となったのは、レンタル販売という画期的なモデルの導入。「ソフトウェアはハードウェアのオマケ」が常識だった日本企業にとって、月額レンタル料ならば抵抗なく支払えたのです。これを機に業績は飛躍的に向上。エンドユーザーに向けて「試してみて気に入ったら購入を」とソフトウェアを配布したことも奏功しました。
1970年代後半

- 成長期後半
- アシストの基礎づくり
日本のソフトウェア市場の拡大に伴い、アシストの業績も向上。虎ノ門に本社を構えるまでに成長しました。できるだけ多くの顧客に直接会う営業スタイル、ニュースレターを発行するなどの施策も成果を上げました。そして次の成長を目指し、アシストはいよいよデータベース市場への参入を決意しました。
1980年代前半

- 統合期
- データベースのアシスト
生産性向上の武器としてコンピュータを提案するアシスト。特にサポートに力を入れ、顧客に高品質のサービスを提供し続けます。そして全社を挙げてデータベース事業に注力。本社の一角を日本オラクル創立の場として提供するなどの関係構築により、Oracle社のデータベース製品の日本市場参入に尽力しました。
1980年代後半

- 発展期
- 時代はオープンシステムへ
企業の情報化投資が進む中、時代はメインフレームからオープンシステムへと動き始めます。ダウンサイジングの流れもパッケージソフトウェア普及の追い風となり、アシストの業績も飛躍的に伸びていきましたが、その中においてもアシストのお客様第一主義が揺らぐことはなく、たとえ販売を中止した製品でもサポートは継続。この姿勢はしっかりと貫かれました。
1990年代前半

- 飛翔期
- 再び一つのアシストへ
本格的なオープンシステム改革が進行する日本。アシストはこれまで、社員のより一層の成長を願い、事業ごとに子会社や合弁会社という分散型の組織体制の形をとっていましたが、企業理念のもと、お客様のご要望に最大限お応えしていくために、組織や制度として対外的な考慮や障害のない一つの会社として事業を推し進める体制となりました。メーカーに依存しない独立系としての強みを生かしたソリューション提案も始まりました。
1990年代後半

- アシストの強みは顧客対応DNA
パッケージソフトウェアの販売とは、モノではなく信用を売ることです。この考えのもと、アシストは営業所の全国展開によるアフターフォロー体制の構築、サポートセンターの設立などに力を入れました。さらに人財育成のために研修の充実にも注力。こうした姿勢はアシストのDNAとして今もしっかりと受け継がれています。
2000年代

- 超メーカーを目指して
創業者ビル・トッテンの後を受けた大塚辰男(現社長)が打ち出した「メーカーを超える価値提供」というビジョンは大きなインパクトをもって迎えられました。それはメーカーに代わって販売するのではなく、お客様側の立場でビジネスを行うという姿勢を示すものです。お客様のために、お客様の一番近くでサービスやサポートを提供することがアシストの使命です。
アシストの現在

- アシストの『トライ&トライ』
アシストの強みは、優れたパッケージソフトウェアを基軸としたビジネスモデルによるお客様への貢献です。そのため個別対応のスクラッチ開発は行わず、汎用性の観点から業務アプリケーションも取り扱いません。国内でのビジネスを優先するのも、お客様に最高のアシストを提供するためです。パッケージインテグレーターとしての姿勢は、これからも変わらず貫いていきます。
アシストの未来

- 未来に向けて
「めげない、逃げない、あまり儲けない」。これがアシストからお客様への約束です。特に「あまり儲けない」については、本気で目指しています。利益はお客様のために、サービス向上や新ソリューション開発へ投資したいと考えているからです。目標とするのはお客様に選ばれ、愛され続ける会社であること。そのための私たちの歩みはさらに続きます。