- 社員紹介
ご機嫌な私でいるために(西木 千恵)
インサイドセールスとして、また新人育成の面でも活躍する西木さん。プライベートでは二人のお子さんを育てながらも、いつも笑顔の理由に迫ります!
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企業向けソフトウェア販売/サポートの老舗、アシストが、苦労の末、主力商品サービス、DODAI(ドダイ)を自社開発した。その開発ストーリーから、商品サービス開発の要諦を探る。
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株式会社アシスト |
企業向けソフトウェア販売の老舗、「アシスト」のビジネス領域は、「日本の企業向け、コンピュータ・ソフトウェアの販売およびサポート」ということになっているが、そんなアシストも、ユニクロの柳井社長の「一勝九敗」まではいかないものの、これまで39年間、新規事業を立ち上げては数々の失敗を繰り返してきた。
例えば、社長のトッテンは日本の伝統的な価値観を好み、ここまでなんとか商売を続けてこられたのは、西洋ではなく日本に会社を設立したからだと言っているが、過去には、輸出部を作り海外進出を試みたこともあるし、韓国にジグアシストという現地法人を設立したこともあった。今では開発は行わないと決めているが、中小企業向け開発を請け負ったこともある。
また一番大きな損失を出したのは、社長自らが陣頭指揮を取った「パソコンソフト・プロジェクト」である。コンピュータ1人1台を実現するためにはパソコン・ソフトの価格が高すぎると、「アシストカルク」「アシストワード」などの、個人向けパソコン・ソフトを当時の流通価格の約10分の1で提供したのである。当時はパソコン・ソフト市場に「価格破壊」をもたらしたなどと言われて、実際、価格引き下げに貢献することはできたものの、パソコンという未知の分野で経験も浅く、アシスト自体は何億円という赤字を出している。
そんなアシストが、従来のビジネス領域を超え、ハードウェアも含めた新商材、「データベース基盤ソリューション DODAI」を2007年5月に自社開発し、主力の商品サービスに仕立てた。データの容れ物である「データベース」に適したハードウェアやソフトウェア構成/設計を含め、「データベース基盤」に必要なものは、アシスト側ですべて最適に準備しましょうというもの。複雑な組み合せで初めて使えるようになるITでも、スイッチ1つで使える家電アプライアンスと同様のシンプルな発想がそのコンセプトだ。
そもそもアプライアンスとは、特定の機能に特化してシンプルに構成したコンピュータのことを意味する。しかしビジネスの現場でITを活用するためには、ハードウェア、ソフトウェア、ネットワークやIT基盤が複雑に絡み合うことは避けて通れない。したがって家電アプライアンスのように機能や構成を絞り込んでシンプルにすることは難しい。その複雑さを意識せずに『パコッと入れるだけ』の手軽さを実感できないだろうか、という視点でサービス設計を行ったのがDODAI商品化プロジェクトを指揮した岸和田隆である。
「DODAIという名称は、日本語の土台から。コンピュータ・システムの基盤である、データの容れ物は、たとえるなら家の基礎や“土台”にあたるもの。この商品の名前にぴったりだと思った」
アシストがDODAIを商品化した理由は以下の3つ。
1.無駄を削るアプライアンス的発想
2.適材適所とサービスインの早期化
3.属人化の排除
それぞれ説明しよう。
岸和田は、10年以上にわたりOracleに携わっていたが、その間、お客様を含め、関係者が行っているプロセスは全く同じ。要するに、アシストの営業マンがOracle案件を獲得すると、その度に技術者も同行して、お客様の要望を伺い、細かな仕様を盛り込んだ「システム設計書」を作り上げることになる。その設計書が完成するまで、幾度となく打ち合わせが繰り返される。
そこで岸和田は、これらのプロセスをアシストがあらかじめ準備して提供すれば、お客様の負担を大幅に軽減できて喜んでいただけるのではないか、それに自分たちも楽になると考えた。
「お客様がデータベースやハードウェアなどの『土台』構築に付き合っている時間は、一般の人が家の基礎工事の詳細部分まで、いちいちどれがいいですかと聞かれて指定しなければならないような状況。あらかじめアシストが詳細設計を考え、きちんと動くかの検証も事前に実施してあげることで、お客様の無駄な時間を省きましょう。家の基礎工事には専門家がいるのと同じように、土台部分は私たち専門家にお任せください、というもの」。つまりデータベースとハードウェアの組み合わせをあらかじめ最適化し、お客様目線でのアプライアンス性の確保というのがDODAIという新商品サービスの発案にいたった経緯だという。
また、お客様との間に、システム・インテグレーター(SIer)が入って詳細設計を確定させ、その後に、アシストにOracleの発注が来る場合がある。その場合、そのSIerが決めてきた仕様通りに、Oracleを入れてみると、Oracleには適していないハードウェア構成のケースも多かったという。しかしその段階では、どうすることもできない。
そこで岸和田は、アシストが案件に関わる段階をハードウェアやソフトウェア構成を検討する段階にしたいと考えた。ハードウェアも含め、Oracleに関することはアシストに任せて欲しい、「適材適所」あるいは「餅は餅屋」ということで、これもDODAIの商品化につながった理由だ。もちろんこの裏には、Oracleと決まった後で声がかかるのであれば、文字通り、何百社とあるOracle販社との競合になるため、できるだけ早い段階で案件に食い込み、他の販社との競争を避けたいという思いがあったのは言うまでもない。
DODAI提供開始にあたってアシストは技術支援サービスをメニュー化した。
「Oracleを20年間サポートしてきたと言っても、ノウハウが体系立てられていたわけではなく、すべてが人に依存している状況だった。加えて2000年前後、優秀な先輩技術者が次々にアシストを去り、ノウハウが人に依存している状態での技術者の流出に危機感を感じていた」
まずは人に依存していたノウハウを文書化するところから開始した。文書化していくと定型化したやり方が見えてきた。その上で、技術支援サービスの内容を体系化し、それぞれ価格がいくらかを明示し、お客様に技術支援サービスのメニューや、それが何を意味するかの詳細内容を見せながら、必要なものを選択していただける形にしたという。
物を買うのに、メニューや価格が設定されているのは当然ではないかと思われるだろうが、IT業界の場合、仕様を固めるのに、お客様の要望を確認しながら、机上設計を何度も繰り返すプロセスが普通だという。岸和田はそれを「ポンポンポンと選べば自動的に価格と注文内容がわかるスタイル」にし、効率化したかった。
岸和田はアシスト入社後、常にお客様に「近づきたい」「知りたい」という欲求から、入社後6~7年目には、2つの開発/運用案件に志願したが、DODAIを開発する上でこの時の経験が最も役立ったという。
1つは、メーカーのプロジェクトで、金融関係の開発案件。Oracleについてはすべて熟知しており、質問にも即答できる状態であったため、メーカー側のプロジェクト・マネージャーの好意で、ハード・ディスクの交換作業などハードウェアに関わる作業もやらせてもらったという。そのプロジェクト・マネージャーとは今も交流があるというが、このプロジェクトでハードに関する知識を深めるとともに、開発がどういう形で進められるのか、お客様がどういう要望を出されるのかを実地で覚えることができたという。
また2つ目は、SIerに出向して、通信会社のメール・システムで利用するOracleの運用を担当したことだ。当時、そのメール・サービスの加入者は飛躍的に増加していた時で、ユーザ数が数千万人の巨大システムだった。新しい社会インフラとなりつつあった携帯メール・システムということで、絶対に止めてはならないというプレッシャーの中、Oracle運用の担当メンバーの一人として参加した。ハードウェアやOSなどのOracle以外の知識やノウハウの習得もできたが、何より、社会インフラを支える責任の重さや、そこで働く人たちの考え方、仕事の進め方、仕事への向き合い方など、非常に多くの大切なことを学んだと言う。
当時の体験について岸和田は次のように語る。「DODAIの商品化を担当する上で、実際の開発、運用案件に携わった経験は非常に大きかった。アシスト社内の業務だけだったら、ここまでOracle以外のことを勉強することはできなかった。お客様先の実際の開発プロセスを、最初から最後まで体験できたこと、大規模なシステムの運用を経験できたことで、お客様が自社の差別化や戦略的な部分に注力できるよう、『土台』部分はできるだけお客様の手を煩わさないで済むようにしてあげたいと考えるようになった」
岸和田は、なぜ、アプライアンス的な発想をDODAIでサービス化しようとしたのか?
サッカー少年の岸和田が、「これ、仕事の合間に作ったんですよ」と、はにかみながら見せてくれたのは、サッカー選手の試合中の動きを「見える化」したWebページ(Analyze Football) 。当時の全日本の監督、トルシエの「フラット3」に代表される戦術論が一般にも話題になることが多かったのだが、客観的なデータを示すコンテンツが存在しなかったので作ったのだという。各選手のパスやドリブルなどの動きを時間帯ごとに座標にマップし、どの選手がどのように動いたかを線でつないでWebサイトで表示したものだという。「世界中どこを探しても、こういうシステムはなかった。じゃあ、サッカーが好きで、IT業界にいるのでJavaを勉強して、自分で作ってしまおう」ということで始めたのだという。
このように、岸和田の発想の原点は、「こうしたら、もっと現状が良くなるのではないか」「それを改善する方法がないのなら、自分で作ってしまおう」というところからスタートしているようだ。岸和田は言う。「言葉は良くないですが、ITは家内制手工業の状態です。ITの分野で働きながら、現状はそうなんです。それをせめて、工場製品のレベルまで押し上げたかったんです」
「そういえば、同じ発想でパフォピーも作りました」。パフォーマンス・セラピー(パフォピー)とは、DODAIの前に岸和田が開発したWebサービスで、WebからOracleのパフォーマンス・データを登録すると、データベース診断を無料で行い、その結果をWeb経由で提示しようというものだ。Oracle標準のパフォーマンス分析レポート(Statspack)があるのだが、テキスト形式であるため、手集計して表計算ソフトでグラフ化するのが手間だった。客先で経験した2つの開発/運用案件でもStatspackを多用しており、レポート化のニーズがあると考えていたため、社内プロジェクトで提案して採用されたのだという。
岸和田からDODAIの提案を受け、会社として商品化に踏み切ることを承認した当時の上司、田畑哲也は次のように振り返る。
「岸和田とは、以前フットサルでも一緒にプレーしていて、彼がセンターバック、私がキーパーで結構名コンビだっと思います(笑)。フットサルのプレー・スタイルが仕事にも表れていて、しっかりした技術力をベースに、問題が発生しても冷静に分析的に対処し、粘り強く問題解決に取り組んでいく姿勢が見られました。勉強熱心で、問題解決の手法やマネジメント手法に関する本もよく読んで研究し、DODAIの開発に役立てていたようですよ」
また、岸和田の弱点については次のように指摘する。「私の粘りの無い部分をだいぶ助けてもらったように思います。もっとも、彼の融通の利かないところをフォローしてあげたりもしましたけど・・・」。2人は文字通り名コンビだったようだ。
DODAIの商品化で最も苦労した点は何かという質問に対して、アシスト独自ソリューションの商品化であり、コンセプトを「売る」ことがいかに難しいかを実感したという。
「ハードウェアとソフトウェアの組み合わせや検証など技術系のことは、プロジェクトの仲間の2人(中村真之と佐藤彰広)と協力して対応し、もちろんかなりハードなスケジュールではあったものの、それほど苦には感じなかった。しかし、コンセプトを理解してもらい、購入という行動に結びつけてもらうことが、いかに難しいかを痛感した」(岸和田)
それは、社外だけでなく、社内についても同様だ。データベース・システムの構築プロセスを知らない営業マンには、DODAIを適用することによって、データベース基盤の構築プロセスがいかに効率化できるかをわかってもらうことは容易ではなかった。また、それまであえて踏み込もうとしなかった「ハードウェア」分野に足を踏み入れることに対しても、そこまでリスクを取る必要があるのかと消極的な反応が存在したのも事実だという。 |
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しかし、DODAIの良さを確信していた岸和田の信念は揺らがなかった。社内関係者から挙がった疑問や懸念点について1つひとつ回答を用意し、勉強会などで理解を求めていった。
また残りの2人のメンバーは、開発当時の苦労を次のように語った。
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「私は、他の2人と比べると万事型どおりに物事をこなすタイプなので、2人の発想力、構想力についていき、自分なりの理解をし、成果物に落とし込んだり、検証計画に落とし込んだりする部分が大変でした」(中村) |
専門外の分野で、アシストが主導権を握りながら協力会社とともに進めなければならないということで、やはり苦労は多かったようだ。
2007年5月の発表以来、すでに3年以上が経過しているが、顧客の反応はどうなのか。「アプライアンス(家電)という言葉に象徴されるように、コンピュータの世界も、テレビのように、コンセントを入れたらすぐ使えるような時代もそう遠くはないように思う。実際、DODAIというソリューションを選択されたお客様は、従来の仕様決め→事前検証→実装、というプロセスがかなり短縮されたことに満足してくださっている。『パコッと入れるだけ』の手軽さを実感いただいているようだ」
否定的な反応はないのか、との問いに対して、「お客様の中には、自身で要件に合うシステム設計を行う役割の方がいます。家も建売住宅と、オーダーメードがありますよね。DODAIの構成はブラックボックスではなく、詳細レベルの設計も見せていますので、そういうお客様には、従来型のプロセスを採り入れながら、対応しています」、と岸和田。
岸和田がOracleを担当し始めた頃は、すでにOracleの知名度は高く、リレーショナル・データベースの必要性やOracleの良さを売り込む必要はほとんどなかった。加えて、日本では日本オラクルが宣伝を担当してくれるので、製品自体の良さをアピールする必要性はほどんとなかった時代である。
「アシスト創業時に、ビルさん(社長)が、スクラッチ開発が当たり前だった日本の企業に、各社共通部分は開発よりもパッケージを使った方が良いと、ソフトウェア・パッケージの必要性を“布教”していた頃の苦労を思えば、自分の苦労なんて比べものにならない」。
周囲の環境そして社内協力があったからこそ軌道に乗ったプロジェクトだ。だが、徹底的に現場を知るスタンス、その上で敢えて「家電アプライアンス」というシンプルな発想を以ってお客様ニーズを掘り起こし、同時に自らの課題解決を組み合わせる発想。そして、ないものは作ってしまえという大胆さ、一旦決めたら何があってもひるまない信念こそが、岸和田の考える商品開発の要諦なのだろう。
(文責: 株式会社アシスト 広報部 根井 和美)
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