
- 社員紹介
頼れる仲間と、挑戦を愉しむ(嶋津 絵里子)
入社3年目ながら社外にも積極的に出ていき、メーカーの「2024 Japan AWS All Certifications Engineers」にも選出された嶋津さんにお話を伺いました!
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入社してから営業一筋、先日定年を迎えたベテラン営業マンの渕上さんにお話を伺いました!
── 今年5月に定年を迎えられ、嘱託社員として引き続きご活躍いただいていますね。このコーナーで嘱託の方をインタビューするのは初めてで、今日はお話を伺うのを楽しみにしていました。
こちらこそお声掛けいただきありがとうございます。変な話に聞こえるかもしれませんが、私に白羽の矢が立つところに、アシストという会社の懐の広さ、面白さがあると感じます(笑)。
── 渕上さんがアシストに入社されたきっかけはなんだったんですか?
そうですね、直接のきっかけは子どもが生まれたことでした。私は転職組なのですが、今のまま働いていて将来子どもに胸を張っていられるのか?と考えるようになり、転職活動を始めて、森沢さんが社長をしていた「株式会社エー・シー・エー(以下、ACA)」に転職しました。
── 1990年代初め、まだアシストが分社化を進めていた時期ですね。アシストのことはご存じだったんですか?
その頃アシストについては、表計算ソフト「アシストカルク」の販売元くらいしか印象はなかったですね。でもACAに入ってから、アシストのすごさというか、良さみたいなものはACA以上かもと感じていました。ACAはアシストと米国企業の合弁会社だったのですが、1996年に合弁契約を解消することになり、その時ラッキーにも無試験で、無事にアシストに入社できました(笑)。ACAに入社を決めたのは、『哲学と信念』を読み、こういう社風や経営方針なら子どもにだけでなく自分自身も胸を張って仕事ができると思ったからでした。元々はアシストの『哲学と信念』ですし、入社できて嬉しかったですね。
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── アシストでのキャリアについて教えてください。
前職も開発希望だったのですが、配属はずっと営業です。ACAで最初に配属となったのはオープンシステム本部で、Mac用のソフトやPCでの開発ツールを販売する部署でした。その頃は組織の再編が頻繁にあり、パッとは所属した部署名が出てきませんが、色々な製品の立ち上げ部隊にいることが多かったです。ですからアシストの本流ともいうべき直販担当よりも、間接販売、いわゆるパートナービジネスでの活動がメインでした。担当期間の長短や実績の高低はありますが、現在お取り引きが多いパートナーさんで担当したことがないのは、数社だけだと思います。
── ACA、そしてアシストで働いてきて、印象深い思い出はありますか?
長くいるので、確かに色々なことがありましたね。2000年問題の対応では、今は社長の大塚さんも含めて、営業も年末年始に輪番で24時間対応しました。個人的には、ホスト系のプロダクトを扱っていた頃、夕方にお客様からお電話をいただき、レスポンスの劣化からトラブルになっているので直ぐに対応してほしいと言われてプロダクト担当の技術者とお客様のデータセンターに行き、dumpファイルを印刷した厚さ1メートルくらいのログから夜通し原因を探したことや、家族旅行で沖縄に行っている最中に、宿泊ホテルにFAXで見積もり依頼が送られてきたことは忘れられません(笑)。
嬉しかった思い出は、エンドユーザー様の新システムのサービスインの前夜から、パートナーさんの会社に各社の担当者が集まって夜間バッチの進捗確認からエラーの有無などをリアルタイムでチェックして、午前9時のサービスインを見守り、問題なく新システムが稼働したことを2時間程度確認した後、そのままパートナーさんがサプライズで予約してくださっていた中華料理屋さんで打ち上げをしたことですね!
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── 仕事をする上で、渕上さんが大切にしてきたことは何ですか?
その時その時で、対応させていただくお客様や担当者さんが抱える課題や会社からのミッションは異なりますが、目の前にいらっしゃるお客様の評価が所属される会社でどうしたら上がるのか、そのためにアシストは何ができるのか、という観点を第一に仕事をしてきましたね。まあ、メーカー交渉や社内承認、アシスト技術者への無理難題などの依頼は付き物でしたので、周りの皆さんの手助けや協力がなければやってこれなかったことだと感謝しております。
── 長年営業をやってこられてスランプもあったと思うのですが、モチベーションの上げ方を聞かせてください。
そうですね、営業として一番つらいのは、数字が上がらないことだと思います。実際、私も若い頃に売り上げを上げられない期間があり、円形脱毛症になったこともありました。そんな時期というのは、売り上げという結果だけに意識が集中していて、その結果に至る過程への取り組み方とか、提案の方向性などの改善やお客様との意思疎通への自己評価だとかを忘れがちだったように思います。ですからモチベーションを保つには、その日その日の活動の過程において、できたことを積み上げる様にカウントすると良いのではないかと思いますね。その日、その場では売り上げにならなくても、自己肯定感が維持できると思います。
── お仕事とは別に、渕上さんがアシストで学んだことはありますか?
人生の約半分を『哲学と信念』を基本とするACAとアシストで過ごしたので、学ばせていただいたことはたくさんありますが、その中でも特筆して物の見方や考え方に影響を受けました。
きっかけはビルさんの講演で、「日米安保条約には、米国が日本を守るなんて書かれていない!」というようなことをおっしゃって、原文の抜粋を提示された時でした。それまでは、ごく当たり前に「日本がピンチの時は米国が守ってくれる」約束だと思っていましたが、確かに原文には「日本を守る」とは書かれていませんでした。このことを機に、世間一般で言われていることやテレビや新聞などの報道についても鵜呑みにするのではなく、気になることは自分で調べたり確かめるのがある種の癖になりました。すると、学校で教えられてきたことや常識といわれるものでも都合よく勘違いさせられていたり、税制などでは本来の主旨とは異なった使われ方をしている実態などに気が付けるようになったのです。ここ最近では、健康や生活環境、海外の情勢に関することなどに勘違いさせるような報道が多く、一般的に利用されている検索エンジンなどもそれを助長していると思います。ですから仕事以外で一番アシストで学んだことは、「なぜその情報を信じるのか、信じられるのか?」を興味のあることだけでも自分自身で確かめてみる、ということですね。
── オフの時はどんなことをしてリフレッシュされていますか?
ふた昔くらい前は、アシストのクラブ活動でサッカーや野球をしていました。毎週交互に活動していたので家族からクレームがあり、子供を連れて行って皆さんのお世話になりました。ひと昔前は、友人の劇団のお芝居を観劇したり東京スカパラダイスオーケストラのLIVE参戦、主催者だったツーリングクラブの活動やレース活動、ドルオタなど、多種多様なことをして過ごしていましたが、コロナ以降は、もっぱらゴルフをして過ごすことが多いです。
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── 今アシストでは「愉快祭」など、若手中心に様々な施策を行っています。渕上さんから見て、変わらないでほしいアシストらしさ、またこれからこうなってほしいという思いを聞かせてください。
先日私が時間休を取った時にサポートセンターの担当者から「時間外ですが、お客様から事象回復のためホットラインでの対応を依頼されています」と連絡が入ったのですが、同じチームの同僚が、残っていた技術メンバーや構築に関わったメンバーを集めてくれ、リモート会議をしたままサポートを継続するということがありました。お客様あってのアシストという姿勢が、中堅や若手の後輩たちにも自然と継承されているんですね。損得だけでなく行動できることがアシストらしさだと思います。なお、この時の問題はアシストから提供したミドルウェアではなくハード系の障害でしたので、後日お客様からはとても感謝されました。
昨今のIT業界や社会環境の変化は目まぐるしくかつスピードが速いので、その変化に柔軟に対応できる様にこれからも変わっていってほしいと思います。アシストは今年創立50周年、そして100年続く企業を目指しているので、そのためにも若手の方々が伸び伸びと活動できる施策はどんどんやってもらい、社員全体が新しい感覚などを取り入れてお客様のビジネスをお手伝いし続けてほしいと思います。また内容や表現の仕方は変わることがあるかもしれませんが、アシストの『哲学と信念』の基本理念はとても素晴らしいと思います。それだけは変わらず持ち続けてほしいと願っています。
── 営業として本当にベテランの渕上さん、現役最終期には素晴らしい営業成績で3回目の“アシストチャンピオンクラブ”に選出されました。これからもアシストの変化を愉しみながら、後輩たちに良きお手本を見せてくださいね!
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入社3年目ながら社外にも積極的に出ていき、メーカーの「2024 Japan AWS All Certifications Engineers」にも選出された嶋津さんにお話を伺いました!
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Internet of Knowledge製品の担当技術として全国を飛び回り、各地に社内外のファンを増やしていると噂の榎本さんにお話を伺いました!