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超メーカーを目指して

アシスト・ストーリー 超メーカーを目指して

2012年、アシストの創業者として40年間社長を務めたビル・トッテンは、後任として大塚辰男を指名した。大役を任された大塚は早速1つの新しいビジョンを打ち出した。「メーカーを超える価値提供」である。

「メーカーを超える」とは

哲学と信念

アシスト社員は、トッテンが1985年に執筆した『哲学と信念』を業務にあたる上での考え方および行動の基本としている。『哲学と信念』では、ソフトウェアを購入するお客様、コンピュータ・ソフトウェア分野で働く者、そして協力会社にとって、アシストが最高の会社となることが求められている。最高の会社になるためにアシストがなすべきことは何か。大塚はそれを現実に落とし込むため、「ソフトウェアの『パッケージ・インテグレーター』としてお客様と社会に貢献する」ことをアシストのミッションとして定め、そのミッションを遂行するためのゴールとして、「アシストはメーカーを超える価値を提供する会社になる」ことを掲げた。

アシストが目指している「メーカーを超える」とは、アシストがメーカー機能を持つことでも、メーカーよりも優れているとアピールすることでもない。アシストは販売代理店としてお客様の最も近くにいるということ、日々の行動においてメーカー側ではなくお客様の側に立つ存在であるという意味であり、そのことを常に社員が意識できるよう大塚は「メーカーを超える」と表現した。

一見すると、誤解を招きやすいこのキャッチフレーズは社員の間でも賛否両論あったが、大塚の考えが揺らぐことはなかった。これまでの「トッテンらしいアシスト」から「アシストらしいアシスト」への第一歩には新社長である大塚の確固たるメッセージが必要だったのだ。

大塚がこうして「超メーカー」というコンセプトに至った背景について、アシストの歴史を紐解いてみる。


お客様ニーズと商品のギャップを埋める

創業当初から、アシストは販売代理店としてお客様とメーカーとの間に立ち、常にお客様にとって最善の結果となるよう行動してきた。

メインフレーム時代、日本企業のお客様からの「印刷の位置を2ケタずらす」や「合計をSUMでなく日本語の『合計』に変える」といった日本の商習慣に基づく要望を、米国のメーカーに理解させることは容易ではなかった。しかし、日本のお客様にとって「当たり前」の要件を満たすために、またパッケージ・ソフトウェアを日本に根付かせるためにも、アシストは粘り強く交渉を行った。

1980年代半ばには、米国製のソフトウェアを国産のマシンに移植(ポーティング)する作業も行った。本社はIBMを使っていても、工場では富士通や日立のメインフレームを使うという会社も少なくなかった。富士通と日立はIBM互換機メーカーではあったが完全互換ではなかった。国産マシンで米国製のソフトウェアを稼働させるにはOSレベルの対応だけでなく、データベースや漢字コード、プリンターなどの対応も必須であった。そのためアシストでは、社内にポーティング専門の開発部隊を置き、メーカーや他のソフトウェア会社と協力しながら移植を進めたのだった。


よく売れる商品の条件

パッケージ・ソフトウェアの代理店の役割は、お客様のニーズと商品のギャップを埋めること。それが創業以来アシストの役割であったとも言える。そのギャップを埋めることができた商品はよく売れ、できなかった商品は売れなかった。

1980年代後半、IBM非互換機に対応する米国製パッケージ・ソフトウェアは、日本市場にはほとんどなかった。しかし、アシストは、ユーザからの要望に応え、富士通、日立製作所、三菱電機、日本電気などの国内主要メーカー向けにEASYTRIEVE PLUSの地道な移植作業を行った。その努力は、ソフトウェアプロダクト市場の拡大に大きく貢献したとして、EASYTRIEVE PLUSは、1989年 第1回ソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー(※)を受賞した。

※ 財団法人ソフトウェア情報センター(略称=SOFTIC)は、ソフトウェアの流通促進を目指した表彰制度「ソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー」を1989年に創設。その第1回表彰にパンソフィック社(アシストグループ)が取り扱う「EASYTRIEVE PLUS」、ロータス社の「ロータス1−2−3」、シャストシステムの「一太郎」が選定された。
表彰理由などは次のとおり。EASYTRIEVE PLUSは、エンドユーザ向けアプリケーション開発支援ツールで、汎用機のバッチ型プログラム開発に適用され、全世界で16,000ユーザ、日本ではアシストグループにより1,300ユーザの実績を持っている。米国製だが、日本市場開拓に、IBM汎用機だけでなく独自の努力で富士通、日立製作所、日本電気、三菱電機などの国内主要メーカーに適合させ、ソフト製品市場に貢献。また、日米貿易摩擦解消の上でも果たした役割が評価された(『データコミュニケーション』、1990年1月29日より抜粋)。


購買代理店元年から「メーカーを超える」という新ビジョンへ

2002年に創業30周年を迎えたアシストは、メーカーの製品をメーカーに代わって販売する「販売」代理店ではなく、顧客が必要な製品を、顧客の立場で世界から発掘し、顧客の代わりに調達するという意味を込めて「購買代理店」元年と位置づけている。この「購買代理店」も、アシストはメーカー側ではなく、「お客様側」の立場でビジネスをするという姿勢を表すスローガンである。

経営環境や技術がどのように変わろうとも、「お客様側に立つ」という方針を創業以来取り続けてきたアシストでは、大塚が2012年、それを改めて「メーカーを超える」というビジョンとして打ち出し、社員の認識を徹底させたのだ。


自社でまず検証

アシストでは、社内情報システムで自社の取扱製品を積極的に活用している。これは以前、アシストが提供した、あるアプリケーション作成ツールにバグがあり、お客様のシステムがなかなかうまく動かなかった時、お客様から「アシストでも使っているのでしょう。同じように困っていませんか?」と言われたことがきっかけだった。それまでも社内で検証は徹底的に行っていたのだが、その後、実際にアシストの社内システムで取扱製品を使うようになってからは、例えばバージョンアップにおける移行作業など、よりお客様の視点に立ったノウハウを得られるようになった。

そして最近では、オープンソースについても、自社が「モルモット」になってオープンソースを活用した。

国内外でオープンソース、フリーウェアの利用が盛んになるにつれ、アシストはオープンソースにも積極的に取り組むようになった。2007年、まずは全社員がオープンソースに触れる機会をつくろうと、社内で利用するオフィスソフトをMicrosoft OfficeからOpenOffice.orgへ移行した。使い勝手や機能がMicrosoft Officeと比較しても遜色ないとの判断から、パッケージ・ソフトウェアの販売とサポートに必要な部分は一部残し、通常業務はオープンソースであるOpenOffice.orgを社内標準ソフトウェアにしたのである。

また2011年には、Ubuntuデスクトップを社内導入するためのプロジェクトを立ち上げた。プロジェクト内で、既存Windowsアプリケーションの利用状況の確認や、課題に対する解決策の検討および準備を行った後、2012年、社員が日常的に利用する社内のPC 950台について、OSをWindowsからUbuntuへ移行した。

今のところ、当初アシストが考えていたような、日本のコンピュータ市場全体が大きくオープンソースへ移行する状況には至っていない。だが、ユーザ企業において、商用とオープンソース・ソフトウェアの使い分けは上手くなされてきており、アシストはお客様の状況やニーズに応じて、商用とオープンソースの使い分けに対応できるようになりつつある。


オープンソースの品揃え拡大

特に顕著なのはデータベース分野である。お客様の選択肢を増やすために商用データベースに加えてオープンソース・データベースの取り扱いに力を入れている。

2006年9月年よりアシストが提供している商用データベース稼働状況診断サービス「パフォーマンス・セラピー」は、オープンソースのPostgreSQLで稼働しており、3年の自社実績を活かして2009年10月からはPostgreSQLのサポートを開始、2011年10月よりPostgreSQLをベースとし、利用しやすい管理ツールやユーティリティとOracle Databaseとの互換性機能を有するEDB Postgres(旧:Postgres Plus)の取り扱いも開始した。また、2012年から自社の勤怠管理システムのデータベース基盤にPostgreSQLを採用、現在はEDB Postgresで高レスポンスを実現している。さらに2014年からは、運用ソフトウェア分野でもZabbixというオープンソースの統合監視ツールの取り扱いを開始している。


アシストがなぜオープンソースを手がけたのか

オープンソースのソフトウェアが企業で利用され始めた頃、オープンソースが主流になればソフトウェア・パッケージの提供を生業としているアシストはどうやって利益を上げていくつもりか、といった質問をよく受けた。それは、大型のメインフレームから、小型のハードにダウンサイジングが進んだ時と同様で、ダウンサイジングにより、ソフトウェアの価格も削減され、アシストの利益も大幅に減ることが見込まれたためだった。

オープンソースの普及によりアシストのビジネス・モデルが成り立たなくなるのでは、という危機感は社内でもあったが、主流となったのは、もし「同じような機能を持つソフトウェアの一方はオープンソースでもう一方はライセンス提供型のソフトウェアで提供されるのであれば、アシストはお客様のコスト削減メリットを提供するために、両方とも提供していく」という考えであった。

それが、「まずは、OpenOffice.orgを実際に社内で使ってみて、本当にコスト削減につながるのか実験してみよう」という声につながったのである。そして、様々なオープンソースを自社で利用し、またお客様に実際に提供してみてわかったことは、オープンソース製品はコスト削減というメリットが出る場合もあるものの、ユーザの現場では移行など技術面での懸念が付きものである、ということだった。

ハードウェアがダウンサイジングしようが、ソフトウェアが商用あるいはオープンソースだろうが、また最近のトレンドであるITサービスがクラウドで提供されるようになろうが、アシストのミッションは創立当初より変わることはない。

お客様の状況に合わせて、商用、オープンソースを問わず、提案、支援、教育、保守まで一貫したワンストップ・サービスを提供すること。お客様の一番近くで、お客様が最大限のメリットを享受できるようサポートやサービスを提供すること。これがアシストが考える、メーカーを超えた付加価値の提供である。


  • タイトル写真はビル・トッテンと大塚辰男です。
  • 掲載内容は執筆当時のものです。


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